宮坂学(みやさか まなぶ)/1967年11月11日生まれ
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1996年のサービス開始から長らくPC時代の覇者として君臨していたヤフー株式会社ですが、来たるスマホ時代を見据えて開業以来初の社長交代が以前大きなニュースになりました。
今回紹介するのは、44歳という若さにしてヤフー新社長に就任した宮坂学さんです。
ヤフー前会長の孫正義氏や前社長の井上雅博氏から託された任務は「変革」。 その期待に応えるべく『爆速経営』をスローガンに掲げ、ヤフーの改革へと突き進んでいる宮坂さんですが、 一体どのようなキャリアを辿って爆速で社長へ上り詰めたのか、その経歴を簡単にまとめてみました。
自然の中で育った少年時代
山口県の田舎で、小料理店を営む両親のもとに生まれた宮坂さん。 ファミコンもまだない時代、家の前が海だったということで、ひたすら泳いだり、山や森へ探索に行ったりと、もっぱら外で遊んでいたやんちゃ少年でした。
海が近いということで魚釣りが大好きで、子供の頃の夢は漁師になることだったそうです。
自然の中で遊んでばかりいたので、小中学校ともにあまり勉強には精が出ず、高校へ進学するときも地元の普通高校にギリギリで行けるくらいでした。
結局、高校は進学校に入学したのでそれなりは勉強しましたが、山岳部に入っていたのでやはり山に夢中だったそうです。
大学を休学した1年間で得た”孤独”の糧
高校を卒業後、京都への漠然とした憧れから同志社大学へ入学した宮坂さん。 両親の経済事情から仕送りをもらうことが出来なかったので、異常にお金がない状況でした。
生活費を全て自分で稼がなくてはならないため、最初の2年間は勉強なんかそっちのけでアルバイトに明け暮れる日々だったそうです。
当時はバブル真っ只中で水商売がお金になったそうで、祇園の飲食店でバーテンダーのバイトをしていました。
すると、バイト漬けの日々を送るうちにバーテンの仕事にハマってしまったそうで、一時は大学を辞めて本気で店を出そうと考えたことがあったそうです。
しかし、当時の店長から「学歴だけは得といた方がいい」とアドバイスされ(店長は中卒だったので説得力があったそう)、宮坂さんは退学はいったん保留にして、1年間休学をすることにしました。
こうして、親に内緒で休学した1年間が、結果的に宮坂さんにとって非常に貴重な経験となったそう。
なにせ時間はあってもお金がないので、毎日古書店で古本を買ってきては家で読みながらぼんやりとアレコレ考え、その後は銭湯でも行って、夜はバイト、深夜3時頃に帰宅するという生活を1年間続けました。
この1年間、本を読みながら”色んなことを孤独に考えていた”という経験が、のちに経営者になった時に大きな糧になりました。
(大学時代の経験で役に立ったことは?)一人で考えた時間です。一人でいることは恥ずかしいことではありませんし、モノや行動は一人でいる時間から生まれるものです。一人で悶々と考える時間は意外にとても大事だと思います。(東洋経済インタビューより)
また、本を読んでいたことで知識欲にも火がつき、大学に復学後は真面目に勉強するようになったそうです。
「大企業には行きたくなかった」という就活時期
当時はバブル期とあって、同級生たちはみんな金融機関や大手新聞社に群がっていたそう。
宮坂さんは結果的に新聞社と保険会社から内定をもらったそうですが、「なんかしっくりこない」という理由で大手企業の内定を辞退してしまいました。
大企業に拒否反応を覚えるようになったきっかけは、祇園の飲食店でアルバイトをしていたときのこと。
バブル最盛期、会社のお金を湯水のごとく使って毎晩どんちゃん騒ぎをしていく大企業のサラリーマンたちを接客していた宮坂さんは、毎日コツコツ仕事をして身を削りながら学費を捻出してくれている両親の姿を思い浮かべながら、「大企業のサラリーマンたちはズルい人間」というイメージを持っていたそうです。
そんな時、宮坂さんが目をつけたのが、「ユー・ピー・ユー」という採用PRのベンチャー企業でした。 なんでも、入社した社員全員にMacが支給されるという話に惹き付けられたそうです。
当時はまだベンチャー企業なんて言葉もない時代でしたが、都銀や保険会社を受ける人は”頭のいい人”が多かったのに対して、ユー・ピー・ユーを受ける人達は”変わった”人が多かったそうで、その点も非常に魅力的に映りました。
また、本を読みふけっていた休学時期に、シリコンバレーに関する本を読んで興味を持ち、将来はコンピューターに関する仕事をしてみたいという思いもあったそうで、 宮坂さんは大手を蹴って、ベンチャーへ就職することになりました。
風呂なしアパートに住んでいた新社会人時代
ユー・ピー・ユーに入社した宮坂さんは、東京で『エククァイア』という新入社員向けの企業PR雑誌の制作に半年間携わったあと、大阪で広告制作の仕事をしていました。
しかし、不運なことに、入社したあとにバブルが崩壊……。広告業界の景気も暴落し、ボーナスも出なくなってしまいます。
社会人になったにも関わらず、風呂なしのボロアパートに住み、とにかくお金がない生活をしていたそうです。
そのため、会社員でありながら代理店の友達から依頼された仕事をこなしたり、フリーランス的な仕事もやってたくらいです。
広告業界とあって社内には時代のトレンドに敏感な人も多く、早くからインターネットの可能性に目をつけていたこともあり、宮坂さんもこの時期にネットに関する知識を身につけたと言います。
そんな貧乏社会人生活を5年ほど続けたあと、ついにヤフーへの転機が訪れます。
ヤフーに転職し、爆速で昇進!
宮坂さんが風呂なしアパートに喘いでいたとき、アメリカで生まれたYahooが日本へ来るということで話題になっていました。
ちょうど翌年からヤフー日本法人が人材募集を始めたということで、ネットへのさらなる興味から応募してみたことがきっかけで、ヤフーへ転職することになります。
入社直後は営業企画に配属され「Yahoo!ファイナンス」を担当することになりましたが、当時のヤフーはまた規模が小さかったので、社員も文系とエンジニアというざっくりとした分け方、配属理由もたんに経営学部出身だったからという安易なものだったそうです。
とはいえ、前の会社ではなかなか出来ないようなことが、「ヤフー」という社員証を持てばすんなり出来るようになることも多く、まさにヤフーは「やりたいことがあれば何でもできる」環境だったそうで、仕事が非常にやりやすく、そして面白くなったそうです。
前の会社を辞めた2日後にヤフーに出社し、その日からアポイントメントを取り始めたのですが、「ヤフーです」というとお客様は会ってくれる。
先週までは自分が電話しても誰も会ってくれないのに、なぜ今週になると会ってくれるんだろう。その違いが不思議でした。(東洋経済インタビューより)
その他、なにより驚いたのは、ボーナスが「万単位」ではなく「月単位」で支払われるようになったことだったとか。
とはいえ、ヤフーには当時のインターネットの最先端を走る人達が揃っていたため、そのレベルに全くついていけず、入社2ヶ月にして辞めようと思ったこともあったそうです。
それでも、仕事が面白くてしょうがない。給料も上がって風呂付きの家に引っ越すことも出来たし、インターネットも使い放題。まさに至れり尽くせりの環境でした。
そしてヤフー入社から5年後の2002年、30代前半にして宮坂さんはメディア事業部の事業部長に昇進を果たします。
それまで2人しかいなかった部下が一挙に50人にまで増え、それまでの仕事観とは違い、「人に任せる」というやり方にシフトすることに試行錯誤をしたようですが、やがて「人を通して成果を出す」ということの喜びを感じられるようになりました。
その後2009年には執行役員コンシューマ事業統括本部長に就任し、Yahoo!ショッピングやYahoo!オークションなどを含め、ポータル事業で業界トップに立つことに大きく貢献しました。
44歳で社長就任。経営陣の若返りと変革
PC時代の頂点に立ち、社員数も5000人を越える規模になってきたヤフーでしたが、大企業になったからこその問題点が浮き彫りになり始めました。
革新を嫌い、保守的な社風になってしまうという『大企業病』に陥っていたのです。
その象徴だったのが、新事業の立ち上げに必要な8段階の承認プロセスでした。
ただでさえ変化の早いIT業界で、新規事業を始めるのに8段階もの承認プロセスを経ていてはスピードが遅くなり、他社に遅れをとってしまいます。
ヤフーの前会長であったソフトバンクの孫正義氏は、今後インターネットの土壌がPCからスマホに移っていくという時代の流れを敏感に察知していました。 (※ソフトバンクはヤフーの筆頭株主。現会長はソフトバンク副社長のニケシュ・アローラ氏)
スマホ時代に適応するためには、保守的になってしまった経営陣の”若返り”を図らなくてはならない。そこで、最もアクティブで”攻撃的”な行動力を持つ宮坂さんに白羽の矢が立ちました。
こうして2012年に、創業以来初の社長交代として、若手の宮坂さんが社長の椅子につくことになりました。
さらに役員も大幅に変え、「スマホが好き」という条件のもと選ばれた新経営陣の平均年齢も10歳以上若返りました。
とはいえ、海外のIT企業の社長は30代が多いようで、宮坂さんの44歳という年齢は決して若くはないとのこと。
宮坂さんはすでに後進へのバトンも考えていて、「40歳の(次期)社長を育てることも仕事の1つ」と言っています。
スローガンは『爆速経営』
宮坂新社長率いる新生ヤフーのスローガンは「爆速経営」。
たまたまプレゼン資料に小さく「爆速的にやろう」と書いた文字が予想以上にバズり、社内を越えて社外にも広まる流行語になってしまい、なんと爆速Tシャツまで出来ちゃいました(笑) といいつつ、スマートメディアの時代へ、本気で、そして爆速で変革を起こしていく新生ヤフー。
宮坂さんは早速、以前は8つあった承認プロセスを2つにまで削り、現場へ権利委譲することで大幅なスピードアップを図りました。
以前のヤフーは社員5000人を乗せた大型船でしたが、新生ヤフーは100〜150隻の高速艇であると表現しています。
今後は重い船1隻ではなくて、小回りの利く船を150隻つくるイメージです。それぞれ船長を決めて、「航路は任せた。目的地はスマートフォン、待ち合わせ場所は201X年、利益は2倍だよ」と。 (Webインタビューより)
まとめ
ポータルサイト=ネットの入り口として、インターネットを加速度的に便利にしてきたヤフー。 PCによるネット閲覧が主流だった時代はまさに王者でした。
しかし、そんなインターネットの世界に、まったく予想外のところで『別の入り口』が出来てしまった……。
それがスマートフォンです。
「(スマホの威力が)ここまでとは予想外だった」と宮坂さん自身も仰る通り、革新的な技術はたった1、2年で世界を変えてしまう力を持っているという点が、ITが全産業に根付いた現代ビジネスの恐ろしくもスゴいところです。
現在は150ほどのサービスを展開しているヤフーですが、「爆速」の2文字を掲げ、新たなスマホ時代の覇者になれるかどうか、若き経営者の手腕に期待したいところですね。
【おまけ診断テスト】自分の「才能」に気づいていますか?
仕事ができるビジネスマンと出来ないビジネスマンの差は、意外と「自分の才能・資質を知っているかどうか」だけの差だったりします。
仕事ができる人ほど「自分が得意なこと」を仕事にし、仕事ができない人ほど「自分が好きなこと」を仕事にしようとします。
仕事が非常にできる2割の人間は、自分が得意なことを仕事にしている人。
仕事を普通にこなす6割の人間は、自分が得意なことを仕事にしていない人。
仕事ができない2割の人間は、自分が苦手なことを仕事にしている人。
「好きなこと」と「得意なこと」は違います。残酷なほど違います。一流と三流を分ける海より深い隔たりがあります。
世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシは、FW(フォワード)というゴール前20m四方のエリア内でのみ世界最高の選手でいられます。彼は誰よりもディフェンスをしません。なぜか? その仕事場以外では平凡な選手だからです。
つまり「仕事ができる人間」とは、「得意な場所で、得意な仕事をしている人」なのです。
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