ウォルトディズニーっ何をした人?その歴史や経歴・すごい功績やエピソードまとめ

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ウォルト・ディズニーの名前を知らない人はさすがにいませんよね?

誰もが一度は楽しんだことがあるであろうディズニーランドやミッキーマウスの産みの親として知られています。

しかし、そもそもウォルト・ディズニーってどんな人で何を本職としていた人なのでしょうか?

漫画家? アニメーター? 映画プロデューサー? テーマパークの実業家?

結論から言えば、ウォルトディズニーはその歩みの中でそれら全ての役割を果たしましたが、 やはり彼の人生を形成した本職と言えば、アニメーターです。

しかし、その輝かしいキャリアのスタートは、極貧の売れない漫画家でした。

2度の倒産を経験し、信頼していた人には裏切られ、それでもなお夢を追い続けて……、 そして今や350億ドルの収入を持つ世界企業『ウォルト・ディズニー・カンパニー』の創業者として伝説と化した、ウォルト・ディズニーという人物の歴史やエピソードをご紹介します。

目次

ミッキーマウスが生まれるまでの歴史

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1901年、ウォルト・ディズニーは鉄道員の父の子供としてシカゴに生まれました。

幼少期から父の影響で汽車が大好きでしたが、少年になるに連れてその興味は次第にアートへ移っていきました。

絵画教室に通って絵を描くようになり、7歳になる頃にはウォルトの描いた小さな絵を買ってくれる人までいました。

高校生になると、夜間に美術の専門学校に通って絵を学びました。ウォルトの絵はみるみる上達しましたが、その内容は次第に愛国主義に偏った内容へと変わっていきました。 当時のアメリカは国際情勢が不安定だったので、ウォルトの中に強い愛国心が芽生えてしまったのです。

その後、第一次世界大戦が起こると、ウォルトは高校も美術学校も辞めて国のために陸軍に志願しました。 しかしウォルトはまだ16歳と若すぎたので、衛生隊として後方の支援任務につくことになりました。

衛生兵として働きながらも、束の間の休日は漫画を描いて過ごしました。街へ繰り出してリフレッシュするのが当たり前だった同僚たちからは、ウォルトは変人に映っていたようです。

 

戦争が終わって故郷に戻ったウォルトは、新聞で漫画を描く仕事を請け負うことになりましたが、一介の新人に対する依頼は少なく、その日の生活にも苦しむような貧しい日々でした。

そんなウォルトを見かねた兄のロイ・ディズニーは、知人のツテで広告デザインの仕事をウォルトに紹介してあげました。 その仕事の中で、ウォルトは生涯最大の相棒となるアブ・アイワークスと出会い、親交を深めます。

その1年後、2人して広告デザインの仕事をリストラされたことがきっかけで、ウォルトとアイワークスは共に起業する道を選びました。

こうして2人はデザイン会社を立ち上げたのですが、そのうちウォルトがアニメ制作会社にアニメーターとして引き抜かれてしまったため、その会社はすぐに倒産してしまいます。

生活のためにアニメ会社に雇われたウォルトですが、アニメの仕事をするうちに、アニメーターの才能と興味が開花していくことに気づきました。 やがて仕事の合間に自主アニメも作り始めたウォルトは、20歳にして早くも独立し、個人事務所を立ち上げました。

アイワークスをはじめ数人のアニメーターを呼び寄せ、アニメ制作に没頭したウォルトですが、あまりに制作だけに集中しすぎて資金繰りがおろそかになり、結局この会社も倒産するハメになってしまいました。

 

2度目の倒産のあと、ウォルトは最後の望みをかけて映画の都・ハリウッドの地へと渡り、兄ロイと共にもう一度会社を立ち上げます。

「ディズニー・ブラザーズ社」と名付けたこの会社はもともと、過去に作った「アリスの不思議の国」シリーズの続編を販売する目的の会社でしたが、そのうちアリスアニメを再び制作できる状況に恵まれました。

この機会を逃すまいと、ウォルトはアイワークスや他アニメーター達を再び結集させ、実写とアニメーションを混ぜた短編映画「アリス・コメディシリーズ」を始め、人気を収めました。

これが、現在に続くウォルト・ディズニー・カンパニーの前身です。

ウォルトはこの時期に生涯の伴侶と出会い、2人の子供ももうけました。

この後、アニメ興行師であるチャールズ・ミンツという人物の紹介で大手ユニバーサル・ピクチャーズと関係を結ぶことが出来たウォルトは、自社キャラクターとして「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案し、オズワルドを主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作しました。 オズワルド

初のディズニーキャラクターとして生まれたオズワルドは瞬く間に人気を博し、ディズニーブラザース社は急激に成長しました。

と言っても、ウォルトは相変わらずビジネス視点には疎く、アニメ制作にお金も情熱も注ぎ込みすぎるために儲けとしてはそれほどでもありませんでした。逆にウォルトにオズワルドを作らせたユニバーサルピクチャーズはボロ儲けです。

しかし、そのことがきっかけで悲劇が起こりました。

版権ビジネスに味をしめたユニバーサルピクチャーズとチャールズミンツが裏で手を組み、ウォルトに対して「オズワルドの版権はウチのモノだ。配給には手数料を払え」と法外な契約手数料を突きつけてきたのです。

ウォルトはビジネス面で鵜頓着だったので、オズワルドの版権管理を甘くみていました。 ウォルトがこの不当な契約を拒否すると、相手側は大手の権力を使ってウォルトの下で働いていたアニメーター達を根こそぎ引き抜き、ディズニー社はオズワルドもスタッフも全てを失って倒産寸前にまで追い込まれました。

 

現在、ディズニーは「世界一著作権にうるさい」ことで有名ですが、それはこのようにオズワルドの版権問題で痛い目を見たことが教訓となったからという話もあります。

アニメーターを根こそぎ奪われ、ウォルトの側に残ったのは相棒のアイワークスだけでした。 もう何度目の逆境かも分かりませんが、2人は再び二人三脚で、昔のようにゼロから再起することを誓います。

ウォルトはオズワルドに代わる自社キャラクターが必要だと考え、オズワルドやアリスコメディの中でライバルとして度々登場させていた敵役のねずみを主役に新キャラを作ることにしました。 その意向を受けて、アイワークスがすぐにキャラデザインを起こしました。

それが、ミッキーマウスの誕生の瞬間です。

ミッキーマウスはデビュー当初こそ不調でしたが、ウォルトの高い演出力とアイワークスの天才的な作画が相まって、やがてすぐに人気に火がつきました。

逆に2人の才能を失ったユニバーサルピクチャーズのオズワルドは急激に人気を失い、ミッキーマウスに完全な敗北を喫しました。 こうしてミッキーマウスの人気は世界中に広がり、現在に続くディズニーの礎を作るキャラクターとなりました。

ウォルトはミッキーの産みの親ではない?

ミッキー

前述したように、ミッキーマウスのキャラデザインは実はアイワークスが産んだもので、厳密に言うと「ウォルトはミッキーの産みの親ではない」という意見もあります。

当時はアニメ制作において、ウォルトは監督や演出を、アイワークスが作画を、という風にそれぞれの才能によって役割を分担していました。

なので当時の社員が「ミッキーの動きはアイワークスが、魂はウォルトが生み出した」と語っているように、ミッキーの性格などのキャラクター造詣はウォルトの才能の賜物なのです。

ちなみに、ミッキーの名前は当初「モーティマー」とされる予定でしたが、ウォルトの妻リリアン・ディズニーのアイディアで「ミッキー・マウス」と変更されました。モーティマーの名は後に初期作品でのミッキーのライバルキャラクターに用いられたそうです。

 

ディズニーランドの建設

きっかけは、ウォルトが幼い娘2人を連れて遊園地に行ったときのことです。

娘たちが回転木馬に乗って遊んでいるのを眺めながら、ウォルトは自分だけがポップコーンを食べながらベンチに座っている寂しさにふと気づいたのです。

「どうして、親と子供が一緒になって楽しめる場所がないのだろう?」

そんな風に思ったことが、ディズニーランドが生まれるきっかけとなりました。

1955年、ウォルトはカリフォルニア州アナハイムに150エーカー(607 028.463 m2)の土地を購入し、自らの名を冠したテーマパーク『ディズニーランド』を建設しました。

アニメ制作からテーマパーク建設へと経営を多角化し、ウォルトはアニメーターから本格的な実業家へと変わっていきます。

毎日のように遊園地に通っては問題点や改善点を練ったり、自身でテレビ番組などに出演して積極的な宣伝活動もしました。

こうして最初のディズニーランドが一定の成功を収めた後、ウォルトはフロリダ州の中心にマンハッタン島の2倍にもなる広大な土地を購入し、生涯最後の夢となる『ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート』の建設に取りかかりました。

……しかし、酒やタバコに溺れ、不健康な生活を送っていたウォルトは1966年に肺ガンで死去し、彼の最後の夢であった「ディズニー・ワールド」の完成には立ち会えませんでした。

「いつでも掃除が行き届いていて、おいしいものが食べられる。そんな夢の世界を作りたい」

生前にウォルトが語ったこの理念は、今でもディズニーランドの最も重要な思想の1つとして受け継がれています。

 

実はちょっぴり”黒い”逸話も……

今では、夢の国の創造主として尊敬を集めてやまないウォルトディズニーですが、ではそんな彼が功績のみならず”人として”も大衆の尊敬を集めるような人物だったかと言えば、一概にはそうとも言えない話もあります。

人種差別主義者だった

幼い頃に強い愛国心を芽生えさせたウォルトは、とにかく人種差別主義者であり、白人至上主義者であったと言われています。

過去には作品の公開イベントで黒人を出席させなかったり、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで、野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱漫画を出版したりと、ウォルトへの差別批判は晩年まで浴びせられていました。

黒人差別の批判対象となったミュージカル映画「南部の唄」は今でも放送禁止となっていて、「幻の作品」となっています。

 

女性差別もしていた

ウォルトの男尊女卑の思想は有名で、彼は死ぬまで、女性(と黒人)を自分の会社の重役に置くことはありませんでした。

 

薬物中毒疑惑も?

晩年まで酒とタバコに溺れ、その声は無惨なまでにしわがれていったウォルトですが、なんと薬物中毒疑惑まで噂されていました。 噂の発端は、空飛ぶ像が活躍する「ダンボ」という映画で、ピンクの像が登場するシーンです。

この「ピンクの像」というのは、麻薬中毒者が幻覚で見るものとして有名であり、このシーンはウォルトが薬物摂取中に幻覚を見ながら描いたものではないか?という疑惑が生まれたのです。

とはいえ、これはあくまで都市伝説レベルの噂であるので、その真偽は定かではありません。

 

まとめ

ウォルトディズニーが後世に残した最大の功績は、やはり実業家として建設したディズニーランドでしょう。

彼は幼少期から絵描きに情熱を注いだ漫画家・アニメーターでしたが、悲しいことにそちらの評価は死後も語り継がれるほど高いものではありませんでした。

むしろ純粋な作画の才能においては、相棒であった天才アイワークスには到底敵うものではありませんでした。

しかし、キャクラクターに心を吹き込んだり、演出の妙によって個性を引き立たせる術に秀でていたのはウォルトの才能であり、今日に続くディズニーアニメの繁栄において最も重要な役割を担ったことは間違いありません。

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