日野晃博(ひの あきひろ)/1968年7月20日生まれ
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『レイトン教授』『イナズマイレブン』『妖怪ウォッチ』と、数々のゲームで日本中に大ブームを巻き起こしてきたゲーム会社・レベルファイブ。
近年では妖怪ウォッチが子供達を中心に大ヒットし、市場規模2200億円・累計出荷本数900万本越えというモンスターヒット作品として社会現象になりました。
そんな数々のヒット作品の生みの親として知られるのが、レベルファイブ創業者にして社長を務める日野晃博さんです。
今や日本トップのゲームクリエイターとして活躍する日野さんが、どのようにして成功の階段を上ってきたのか、その経歴を簡単にまとめてみたので、見てみましょう。
青年期ーー運命を変えたドラゴンクエストとの出会い
現在の活躍から、さぞ子供のころからゲーム少年だったように思える日野さんですが、実はそうでもなかったようです。
少年時代はサッカーに明け暮れていて、ファミコンが発売された中学時代も、まったくファミコンには見向きをしていませんでした。
むしろ日野さんが興味を持っていたのはマイコン(マイクロコンピュータ)だったと言います。小学校6年生でマイコンを買ってもらって以来コンピューターゲームをしていたので、スペックで劣るファミコンゲームには興味が持てなかったのです。
そんな小中学生活を過ごし、やがて高校を卒業した後、漠然と「これからはコンピューターの時代かな」と将来について考えた日野さんは、コンピューターの専門学校に進学しました。当時はシステムエンジニアになるつもりだったのです。
しかし、そんな日野さんの人生を変えたのが、19歳のころに出会った『ドラゴンクエストIII』でした。
ドラゴンクエストIIIは発売日に徹夜組が出るなどの社会現象となっていて、日野さんも買ってみました。当初は「こんなの面白くないだろ」と半信半疑でしたが、いざプレイしてみると圧倒的に面白かったのです。
ゲームでここまで人を感動させられるのか、と初めてゲームに感動を覚えました。
ドラクエIIIも、絵の綺麗さや色の数の多様さなどスペック面ではマイコンに劣っていました。しかし「ゲームってそういうものじゃないんだぜ」と、ゲームの本質を教えてくれたのがドラクエだったのです。
日野さんは思いました。「ゲームの世界こそ自分の進むべき道だ」と。
システムエンジニアから路線変更した日野さんは、プログラミングを駆使して自作のゲームを作り上げ、ゲーム会社に飛び込んで売り込みにいきました。
当時はゲームプログラマーの求人が皆無だったこともあり、半ば強引に株式会社システムソフトに入社することが出来たのです。
30歳でレベルファイブを起業
ゲリラ的な就活でシステムソフトへ入社した日野さんは、プログラマーを希望していたものの、会社から期待されていたのは開発チームを管理するプロジェクトマネージャーでした。
あくまでプログラムというゲーム制作の中心的な仕事をしたかった日野さんは、結局たった4ヶ月でシステムソフトを辞めてしまったのです。
その後、福岡のゲーム会社である株式会社リバーヒルソフトへと転職し、そこでようやくプログラムを含むディレクションを数本のタイトルで担当します。
しかし、今度は会社の一員としてゲームを作っていく中で、日野さんの胸にはふつふつと「自分オリジナルのゲームを作りたい」という欲求が芽生えてきました。
独り立ちを意識し始めた当初は、SCE(ソニーコンピューターエンタテインメント)の子会社として起業することを考えていた日野さんですが、SCEの当時副社長・佐藤明氏の助言により、独立起業の道を選びました。
そして30歳のころに、当時のチームメンバー数人とともに『株式会社レベルファイブ』を設立したのです。 設立当初は、SCEの下請けとして数々のRPG作品を手がけ、『ダーククラウド』や『ダーククロニクル』は大ヒットを飛ばして高い評価を得ました。
憧れだったドラゴンクエストを制作
RPGの制作で高い評価を受けるようになったレベルファイブに、ドラクエの制作会社であったエニックス(現スクエアエニックス)が「一緒にやろうよ」と声をかけてきました。
しかし、当時のレベルファイブはソニーと一緒に働いていたため、あまりの忙しさに一度この誘いを断ってしまいます。
二度目のチャンスは、飲み会の席でやってきました。
たまたまエニックスのプロデューサーと飲みにいった際にドラクエについて熱く語っていたら、「それなら自分で作ったら?」と言われ、どんどんと話が進んでいきました。
ドラクエシリーズの産みの親である堀井雄二氏も、『ダーククロニクル』で日野さんの手腕に注目していたことも拍車をかけました。
こうして日野さんは、青年時代の憧れであったドラクエシリーズ『ドラゴンクエストⅧ 空と海と大地と呪われし姫君』を制作することになったのです。
このドラクエⅧのヒットにより、業界内外からレベルファイブは大きな注目を集めるようになりました。
初の自社ブランド作品となった『レイトン教授』シリーズ
ドラクエを作るまでは、自分の好きなゲームを制作して収入が得られればいいと日野さんは思っていました。
しかし、その考えはドラクエを作ったことで変わったのです。
「ドラクエのようなブランドを作らなければ、ゲームを作ったことにならないんじゃないか?」 自分たちのIP(キャラクターや世界観などの知的所有権)を持って勝負できる会社にしたいと思うようになり、自社ブランド作品の開発へ乗り出すことにします。
当時、ニンテンドーDS用ソフトで『脳トレ』がヒットしていましたが、それに続く作品はまだ出ていませんでした。
そこで日野さんは、“頭の体操”を題材にゲームを作ろうと考えました。 しかし、“頭の体操”という名前をゲームタイトルに使うには権利の問題などを解決しなければならないという壁がありました。
そんな時間を待っている余裕はないと考えた日野さんは、オリジナル作品を作ることにします。
そして、2007年にレベルファイブ初の自社パブリッシングタイトルとして世に放たれたのが、『レイトン教授と不思議な町』です。
普段ゲームをしない人にも手に取ってもらえるようにと考えた日野さんは、一般に注目を集められるようキャストに大泉洋さんと堀北真希さんを迎え、パッケージのデザインも女性誌をイメージして作り上げました。
結果的にレイトン教授シリーズは大ヒットし、『芸能人をキャストに使う』というブームがゲーム業界に生まれました。
こうして自社ブランド作品を手がけるようになってからのレベルファイブは、次々にヒット作品を生み出しました。
- レイトン教授シリーズ
- イナズマイレブン
- 段ボール戦機
- 妖怪ウォッチ
ゲームと同時に、アニメやマンガ、キャラクターグッズなどを同時展開する『メディアミックス』という手法も、爆発的なヒットを生み出す要因となっています。
特にキャラクターグッズなどは、子供達が身につけて遊び回ってくれることによって自動的に宣伝効果が広まっていくことになり、ブームを生み出すのに欠かせない要因となっているそうです。
そしてまさにグッズで大成功を収めたのが『妖怪ウォッチ』でした。
ヒットの最大の要因となった『妖怪メダル』です。 メダル一つ手に入れることにより、アーケードゲームやニンテンドー3DS、おもちゃなどで、それぞれ異なる形で活かすことができ、『メダルを手に入れること』自体がコンテンツの楽しみの一つになるのです。
日野さんは、自分たちのメディアのヒットだけを考えるのではなく、
“ほかのメディアが売れるからこそ、自分たちのメディアも売れる”という考えたかたを持ち、作品の本質となる遊びをみんなで考えていくことが大事だ”
といったことを、ゲーム開発者達のカンファレンスで語っています。
賛否両論あるのも事実
今ではヒットの仕掛人として名を馳せている日野さんですが、当然その評価には賛否両論があります。
特に評価が分かれがちなのが『シナリオ』についてです。
自社コンテンツにおいて、自身で企画からシナリオまで担当することの多い日野さんですが、その『シナリオライターとしての力量』には以前より疑問視の声が多くあがっているのも事実です。
過去の『ロードギャラクシー』という作品では、その道のプロである大作家・宮部みゆきさんからシナリオに関して酷評を受けるといったこともありました。(宮部さんは超がつくゲーマーです)
自身がシリーズ構成を担当したアニメ『機動戦士ガンダムAGE』では、Amazonのレビューが低評価で大炎上するなども経験しています。
どうやら、プロデューサーとしての企画力やマーケティング力ではピカイチの才能を発揮するものの、クリエイターや作家としての創造力までは備えられなかった模様です。天は二物を与えなかったのでしょう。
そもそもレベルファイブという会社自体が、日野さんのワンマン会社であるという評価も多くあり、日野さんがシナリオしかり、プロダクトの全てに手を出そうとするという点も一部では問題視されているようですね。
それは日野さんのゲーム作りにおける情熱の強さを物語っているのですが、まぁ落ち着けと。ちょっとは休めと。そう言ってあげたいところです。
次なる新作『スナックワールド』
レベルファイブは、『妖怪ウォッチ』に続くクロスメディアプロジェクト第4弾として、iPhone、Android、ニンテンドー3DS向けの新作『スナックワールド』の制作開始を発表しました。
本作はクロスメディアを行うための原作を元として、ゲームやテレビアニメ、マンガ、玩具、映画などの多角展開を行っていくようです。
新作のコンセプトは、“ハイパーカジュアルファンタジー”。王道ファンタジーの世界に、スマートフォンやコンビニといった現代のカジュアルな世界観を融合させ、時代も文化も超えたまったく新しいファンタジーとなっています。
<あらすじ> “とある時代”“とある大陸”でのほんの些細な出来事… “大規模レジャー施設”建設のため立ち退きを要求された村がありました。 しかし、その要求を拒否すると、なんと村は住人ごと一瞬にして破壊されてしまったのです。 そこは『小さなしあわせ』の中に暮らしていた主人公の少年チャップの村でした。 全てを失ったチャップは、悲しみを乗り越え、復讐の旅にでる決意をする! …が、オーサマの娘・メローラ姫にメロメロ?!なチャップはわがままな姫のお願いを叶えるため、個性的すぎる仲間を引き連れ無理難題に挑んでいくことに…?!
まとめ
レベルファイブの素晴らしいところは、『ヒット作にすがらない』という姿勢にあるように思います。
妖怪ウォッチをこれだけヒットさせておきながら、すぐに次の新作に取りかかるという潔さとチャレンジャー精神。過去の栄光は捨ててさらなる挑戦を続けるという経営姿勢は、永続的に事業を繁栄させている企業の共通点ですよね。
新作『スナックワールド』の配信日はまだ未定のようですが、今から待ち遠しい子供たちが大勢いることと思います。
この新作でまたレベルファイブは社会的ブームを巻き起こせるのか、今後の活躍にも期待大ですね!
【おまけ診断テスト】自分の「才能」に気づいていますか?
仕事ができるビジネスマンと出来ないビジネスマンの差は、意外と「自分の才能・資質を知っているかどうか」だけの差だったりします。
仕事ができる人ほど「自分が得意なこと」を仕事にし、仕事ができない人ほど「自分が好きなこと」を仕事にしようとします。
仕事が非常にできる2割の人間は、自分が得意なことを仕事にしている人。
仕事を普通にこなす6割の人間は、自分が得意なことを仕事にしていない人。
仕事ができない2割の人間は、自分が苦手なことを仕事にしている人。
「好きなこと」と「得意なこと」は違います。残酷なほど違います。一流と三流を分ける海より深い隔たりがあります。
世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシは、FW(フォワード)というゴール前20m四方のエリア内でのみ世界最高の選手でいられます。彼は誰よりもディフェンスをしません。なぜか? その仕事場以外では平凡な選手だからです。
つまり「仕事ができる人間」とは、「得意な場所で、得意な仕事をしている人」なのです。
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