柳井 正(やない ただし)/1949年2月7日ー
日本を代表するファストファッションで、今や世界中から愛されている「ユニクロ」。
柳井正さんは「ユニクロ」の創業者であり、グループ持株会社ファーストリテイリングの代表取締役会長兼社長、そして日本一のお金持ちとしても有名です。
柳井さんは、地方で実家が営んでいた紳士服店勤務を経て、製造小売業のチェーン店「ユニクロ」を開業、高品質なカジュアルウェアで驚異的なヒット商品を生み出してきました。
約30年で連結売上高が1兆円を超える巨大企業を作り上げた、柳井さんの経歴を紹介していきます。
元・無気力学生が商売に目覚める
柳井さんは早稲田大の政治経済学部に入学しましたが、特に夢もない無気力学生でした。
授業よりもパチンコや麻雀が好きで、就職活動もやる気ゼロ。卒業後は、父親に勧められるまま「ジャスコ」に入社しました。 でも、働くのが嫌で1年もたたない内に辞めてしまいます。
半年ぐらい東京の友達の家に転がりこんでダラダラ生活をし、結局、実家のある山口に戻ることにしました。
柳井さんの実家は山口の宇部市にあり、父親が「小郡商事」として紳士服店と土建屋を営んでいました。
紳士服店の手伝いを始めた柳井さん。ジャスコでの熱心な社員たちと真面目に働かない店員の違いに愕然とし、注意したところ、次々と店員が辞めてしまいました。
そこで、全てを自分でこなさなくてはいけない羽目に……。 父親から会社の実印も渡され、一気に責任を負うことになりました。
いざ、本腰を入れて商売を始めると「結構おもしろいんだな」と感じ始めるようになったと言います。
「商売とは、毎日成績表をもらっているようなもの。やったことが全部、自分に返ってくる」
SPA(製造小売業)の「ユニクロ」が誕生!
本屋やレコード店のようにふらっと入れる洋服店を作りたいと考えた柳井さん。
現状ではメーカーが小売価格を決めるが、自分たちで商品を作り価格をつけるのが商売だ、と確信します。
香港ではSPA(製造小売業)のカジュアル専門店チェーン「ジョルダーノ」が成功していて、その創業者ジミー・ライ氏が同い歳だったことにも影響を受け、柳井さんは「日本でSPAのチェーン店を展開したい」という目標を立てました。
1984年、広島市の中心地に「ユニクロ」の1号店がオープン。
「ユニクロ」とは「ユニーク」「クロージング」で、お客さんが自由に選び買うことができるという意味もこめられています。
フォーマルな紳士服からカジュアルブランドへの転機となったこの店は、社運をかけた事業でした。
知名度がゼロの「ユニクロ」を印象づけるために柳井さんがとった戦略は、朝6時半の開店。10時に開店しても、若い人達は学校に行っている時間帯だから意味がないと考えたのです。
初日には開店前から長蛇の列。ラジオ中継で柳井さんが「人が多すぎるので来ないでください」と呼びかけ、入店制限を行うほど、大盛況となりました。
「倉庫」をイメージした天井の高い店内で、陳列方法などじっくり品物を選べる「ヘルプ・ユアセルフ」方式は、現在も変わらないユニクロのコンセプトになっています。
同年、正式に柳井さんがCEOに就任し、1991年には、父親から受け継いできた社名「小郡商事」を「ファーストリテイリング」に変更しました。
中国地方を中心に着実に店を増やし、94年7月には広島証券取引所に上場、97年4月には東証2部に上場し、同年の11月には直営店舗数が300店を超えました。
一大転機の原宿出店&フリース旋風
「ユニクロ」は全国展開を進め、柳井さんの商売に対する意識が変わっていきます。
「これからは経営者として生きていこうと決めました。経営者は商店主とは全然違います。経営者は客観的に自分の会社を判断して、主体的な行動ができる人のことです。会社の収益や社員の自己実現を、どのようにして達成させるか。また原理原則を大事にして、どんな人でも納得できることを淡々と実行する。それが経営者だと思います」 (こちらより引用)
98年には、東京初の都心型店舗を原宿に出店します。
この頃から、「ユニクロ」はただ安いだけでなく、プライベートブランド商品のデザイン性、品質の見直しをはかっていきます。
広告展開でも、クリエイティブディレクターにタナカノリユキ氏を招き、ダサさを自虐的に使っていたCMなどを一新させていきました。
「田舎から出てきた安売り屋のイメージをどう変えていくのか?」
そこで柳井さんは一気に商品を作り直すことに。原宿出店にあたり、目玉をフリースにしたのです。
多色展開、着心地が軽い、1900円の低価格など、今までのお堅い防寒着というイメージを身近なおしゃれ着として変換させ、大ヒット!!
98年には200万枚、99年には850万枚、2000年には2600万枚というセールスを記録し、「フリース旋風」を巻き起こしました。
99年2月には東証1部に上場、01年8月には売上高が4185億円にまで達しました。
そして、いよいよ世界を視野に入れ始めます。 02年にはロンドンに4店舗を同時オープン。その後、中国、アメリカ、フランスなど、海外でも店を増やし続けていきます。
社長交代からの新社長更迭劇
02年5月、社長交代が発表され、柳井さんは会長となり、日本IBM出身の玉塚元一さんが社長に就任しました。
しかし、玉塚さんは解任され、05年に柳井さんが社長に返り咲いています(会長も兼務)。そ
の理由は05年8月期の増収減益。「守り」や「安定」を絶対に許さないと言われている柳井さん。
「革新的なことに挑戦した結果の『減益』ではないので、最悪だ。売上が反転し安定成長志向という病にかかり、増収減益になったときこそ、会社の将来を決する最大の危機だと悟った」(著書より)
店長出身で、店舗が全てだと考える柳井さんは、外部から来て上級意識が強い人とは合わないと話す社員の声もあり、要求水準に満たないと容赦なく役員を降格させることもあるとか。(仕事面以外では情が深く、辞めた社員とも交流は続いているようですが)
現在は、ローソンの社長になった玉塚さん。「柳井さんから薫陶を受けたことは、宝であり財産」とインタビューで語っています。
「かつて私がユニクロでお世話になっていた頃、柳井さんは、寝ても覚めても経営のことを考えていて、縦・横・斜めに数字を眺め、その背後にあるものを把握するための労を惜しみませんでした。
こうした姿勢を私に見せ続けていたのは、「がむしゃらに仕事しろよ」というメッセージだったと思っています。徹底的に教えられたことは、「経営者は経営をしろ」ということです」
経営者・柳井正の教科書
玉塚さんが読書家の柳井さんから渡され、経営の指針を示す重要な1冊となったのが、『プロフェッショナルマネジャー』
柳井さんも度々、この本を紹介し、下記のように話しています。
「この本と出会って初めて、“経営とは目標から逆算して、その目標に到達するために考えられる限りのことをいいと思う順から実行していくことである”ということを学びました」
「それまでの僕は、「何かをゼロから始めて一つひとつ形にしていくことが経営だ」と考えていました。しかし、どんな努力も目的地が決まっていなければ、それは“経営”ではなく、単なる“作業”なのです」 (こちらより引用)
「フリース旋風」の急成長後、伸び悩みの時期がありつつも、再び柳井さんが舵を取った「ユニクロ」は07年に目玉商品“ヒートテック”キャンペーンを成功させます。
海外では11年にNYの超一等地・五番街に、最高水準を意識し情報発信の拠点となるグローバル旗艦店を出店。グローバルブランドとしての地位を確立しました。
資産総額は日本一
06年から始めた低価格ブランド「GU(ジーユー)」も好調で、13年には売上高が1兆円を突破し、これは国内の衣料品業界では初の快挙となっています。
気になるのは、「100億円御殿」に住んでいると言われる柳井さんの資産です。
恒例となったアメリカの経済誌「フォーブス」による“世界長者番付”の2015年版では、41位で、日本ではトップ。
その資産総額は推定で2兆4240億円と言われています!! (日本の2位は、ソフトバンクの孫さん、3位は楽天の三木谷さん)
ちなみに、同誌の長者番付や日本の富豪ランクでは、孫さんらと競い合いつつ、2009年、2012年、2013年は日本人首位を記録しています。
柳井さんが自社株を保有し続け、アベノミクスの経済効果が続く限り、資産は増え続けると言われていますね。
今後の「ユニクロ」の展望は?
「店長は2年でつくる」というユニクロ式教育や、新卒採用の募集要項に「スター店長」「スーパースター店長」などポストごとの年収が分かる「年収早見表」が公開され、人材育成面でも何かと話題の「ユニクロ」。
社員の定着化に向け、「地域正社員」の導入など、働き方の多様化も進めています。
「日本企業の雇用や勤務体系はもっと柔軟化しなければいけない」と唱え続ける柳井さんは2015年10月から「週休3日制」を導入。 (詳細はこちら)
11月には、来年以降、国内外の店舗で難民約100人を雇用すると発表しています。
難民問題について「国や国連に頼って解決を待つだけでなく、民間企業と個人が(支援に)取り組むべきだ」と話す柳井さん。
企業・店舗のグローバル化に関しては、“ローカルニーズ”を反映した世界基準の精度を高めるため、世界の主要都市にR&D(研究開発)センターを設けていくようです。
2016年春には、有明配送センターに世界最大のデジタルフラッグシップストアを作り、将来の流通ビジネスを見据えたバーチャル店舗とリアル店舗の融合をはかるとか。
服で人々の生活を変えるという新定義「ライフウェア」を掲げた、柳井さんの挑戦が楽しみですね。
【おまけ診断テスト】自分の「才能」に気づいていますか?
仕事ができるビジネスマンと出来ないビジネスマンの差は、意外と「自分の才能・資質を知っているかどうか」だけの差だったりします。
仕事ができる人ほど「自分が得意なこと」を仕事にし、仕事ができない人ほど「自分が好きなこと」を仕事にしようとします。
仕事が非常にできる2割の人間は、自分が得意なことを仕事にしている人。
仕事を普通にこなす6割の人間は、自分が得意なことを仕事にしていない人。
仕事ができない2割の人間は、自分が苦手なことを仕事にしている人。
「好きなこと」と「得意なこと」は違います。残酷なほど違います。一流と三流を分ける海より深い隔たりがあります。
世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシは、FW(フォワード)というゴール前20m四方のエリア内でのみ世界最高の選手でいられます。彼は誰よりもディフェンスをしません。なぜか? その仕事場以外では平凡な選手だからです。
つまり「仕事ができる人間」とは、「得意な場所で、得意な仕事をしている人」なのです。
あなたは、自分の才能がどこに向いているのか把握していますか? 本当はドリブルやシュートが得意なのに、なぜかディフェンスポジションで仕事をしているせいで「仕事ができない人間」になっていませんか?
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