元谷芙美子(もとや ふみこ)――1947年7月8日生まれ
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「私が社長です」の看板&広告で物議を醸し、ド派手な帽子姿でテレビでもおなじみの元谷芙美子さんは、アパホテル株式会社の名物社長です。
アパホテルといえば、ビジネスホテル業界で「1人勝ち」とも言われ、駅近でリーズナブルな都市型ホテルをはじめ、リゾートホテルなど全国に100以上のホテルを展開しています。
東京23区では客室数がトップ、アパカード会員数は約900万人を超え、今後1年間でも次々と都心の一等地で新ホテルが開業予定なのです。
アメリカ進出も果たし、2015年11月13日には第1号ホテルがオープン。CMがどしどし流れていますね。
そんな日本最大級ホテルグループの広告塔であり、一度見たら忘れられない(?) 元谷さんの経歴をまとめてみました。
学生時代は活発な才女、でも夢は叶わず
自立心が強く、何事にも積極的だった元谷さん。小学校2年の時、先生に勧められた朗読文の暗記を他の生徒よりも頑張り、達成感を得たことから「頑張った人がトップを取れる」という考えを持つようになります。
高校は、地元・福井で1番の進学校に通い、生徒会長を務めたり、弁論大会で優勝したり、この頃から人の前に立つことが得意でした。
将来の夢は、東京の大学に進学し、教師になること。
けれど、働き盛りの父が病気になり、3姉妹の長女として、自分の夢を断念することに・・・。
クラスで大学受験をしなかったのは元谷さんだけでしたが、「私には、もっといい人生が待っている。それに、学ぶ機会はきっとまたある」と前向きに考えました。
東京行きよりも、福井に留まる!そして、その言葉どおり、就職先で人生を変える出会いが待っていました。
夫婦で会社を創業、営業職でトップに
福井信用金庫に就職した元谷さんは、小松信用金庫で組合書記長として活躍していた元谷外志雄さんと出会い、22歳で結婚。
翌年の1971年、外志雄さんは信用金庫を辞めて、地元・石川で注文住宅販売会社「信金開発株式会社」(現・「アパ株式会社」)を創業しました。
創業当時、元谷さんは妊娠中でしたが経理や事務を手伝い、出産後は営業マンとして働き始めます。
「三度のご飯より営業が好き」と話す元谷さんは、接客で才能を開花させていきました。
芸者の置屋に行き、女将が座敷を務めている間はカラオケで歌いまくり、女将が戻ると深夜に物件を案内して明け方に契約を取る、などかなり積極的な行動に出たとか。
2人の子供を育てながらも、気がついた時には社内で営業成績がトップになっていました。
そして、会社はマンション開発を軸にし、順調に事業を拡大していきました。
バブル末期に、崩壊の予兆を察した外志雄さんは不動産を売りに転じて被害を最小限にし、バブル崩壊後は他社の売却による地価の下落を見て、買いにシフト。
創業から13年後に金沢から始めたホテル事業部門でも、全国のシティホテルを次々と買収し、時には温浴施設を付加してリゾートホテルへと生まれ変わらせました。
抗議殺到!ド派手な広告塔で知名度アップ
ホテル事業開始から10年後の1994年。元谷さんはアパグループ代表の外志雄さんから、突然、アパホテル社長の任命を受けます。
「お前、社長やれ。ホテルでお客をもてなすのは女将や」 そこで、就任直後に登場したのがあの「私が社長です」広告です。
派手な帽子で微笑む元谷さんの顔が、新聞の一面広告、街の巨大看板、電車の中吊り広告などに現れ、世間に強烈なインパクトを与えました。
大手広告代理店から「史上最悪の広告」と言われ、本社には「やめてくれ」という抗議が殺到したそうですが、それこそが元谷夫婦の狙いどおり。
抗議であろうが、話題になるほど「アパホテル」を印象づけ、会社の知名度がどんどんアップできると考えていたのです。
そして、外志雄さんはこうも語っています。
「外国では一流企業のトップは表に顔を出している。知名度を上げるとともに、顔を見せることでトップとしての責任を明確にしようという目的もあったんですよ」
元谷さん自身も、最初の数年は特に目立つことを心掛けていたようです。
トレードマークでもある帽子は230個ぐらい持っていて、女性社長としての華やかさ、凛とした感じを帽子で表現したようです。
元谷さんは積極的にメディア露出を図り、講演会や時には歌手活動なども行い、まさに「アパホテル」の顔となっていきました。過去の営業まわりも大いに役立ったのかもしれません。
ちなみに、アパホテルでは、元谷さんグッズの販売も行っていますね。
2011年に発売された「アパ社長カレー」は2年で30万食売れたそうです。
アパ社長シリーズは、ラーメン、せんべい、ミネラルウォーター、うまい棒まであるとか。
1日の総売上が5億超え!アパホテルの戦略とは?
名物社長ですっかり有名になったアパホテルですが、2007年の耐震偽装問題などを乗り越えつつ、着実に店舗を増やしています。
2011年以降は、東京23区内で毎月・約1店舗のペースで出店攻勢を行い、地方では有力なホテルとアパホテルパートナーズとして提携を行い、インターネット予約などでも共有化を行っていきました。
事業成功の裏には、客室に折り鶴を置くなど女性社長ならではの「おもてなし」精神と、アパグループ代表・外志雄さんの優れた経営戦略があると言えるでしょう。
アパホテルの戦略の1つとして、「駅から近い」という好立地が挙げられます。 Webインタビューで、元谷さんはこう答えています。
「孫子の兵法には、『まず勝ちて然る後に戦いを求む』という教えがあります。ホテル経営に置き換えれば、「勝つ」とはすなわち好立地を確保すること。よい立地を手にしたのちに戦いを挑めば、負けることはないのです。(略)たとえどんなに素晴らしいホテルでも、駅から15分歩くようでは稼働率を上げることはできません」
では、具体的に好立地を確保するにはどうしたらいいのか、という疑問が出てきますが、異例の出店速度を実現させているカラクリついては、外志雄さんの出番。
「うちは東横インさんのようにオーナーから土地を借り上げたホテルとは違う。物件は自前ですから徐々に償却します。そうすると簿価利回りが1年1年上がってく。だから初めの投資は大変ですが、そのあとはジャンジャン簿価が貯まっていって、結果として楽になります」
銀行決済を待つのは時間の無駄と考えるアパホテルでは、所有にこだわり、いい土地をみつけたらすぐに現金で契約するのです。
そして、うなぎの寝床のような場所でも、都市開発など他事業で建築にも詳しいため、ホテルを建設できてしまう、という流れになっているようです。
そして、アパホテルがビジネスホテルの中でも勝ち組と言われるようになった戦略は、いち早く「出張族」に目をつけた点。
ホテルの会員制はありがちですが、何度も出張を繰り返す人々をいかにしてヘビーユーザーにするか。
そこで考えたのが10%の現金キャッシュバック制度だったのです。
経費としてお金を払うのは会社でも、ホテルを選ぶのは本人、その本人に現金が戻ってくるというおいしい話ですね。
こちらは、特に小遣いが欲しいビジネスマンに好評のようです。
他にも、大浴場完備やビジネスホテルでは初の無線LAN完備、宿泊代は店長判断による地域別・最安値設定など、工夫を重ねていきました。
その結果、リピーター率は80%以上で、シティホテルの客室稼働率は80%以上を超えれば合格と言われるなか、東京都心部では稼働率は95%以上だとか!
不況でホテル離れが深刻化しても、創業以来40年以上に渡って黒字経営で、1人のリストラも行っていないそうです。
2010年からのアパグループの中期5カ年計画では、ホテル部門だけで売上高700億円、客室数4万室、グループ全体の売上高は1000億円を目標とし、それもほぼ達成確実で上方修正も検討中のようです。
2015年9月20日には、アパホテルの1日の総売上が5億7400万円、と過去最高の売上を記録したと発表されました。
東京進出&教育、2つの夢を叶えたセレブ社長
夫婦でホテル業界の勝ち組になった元谷さん。2012年の週刊誌の記事によれば、元谷さんだけの年収で約5億5000万円、自家用ジェットで移動し、西麻布の3階建て8LDKという大豪邸で暮らしているそうです。
(ちなみに、2012年に週刊誌が独自の調査で発表した「全国長者番付」では、夫の外志雄さんの総資産は推定で2200億円、年収は約33億円と言われています。石川県代表として、各都道府県別1位のお金持ちと比べても総資産は4位、年収では2位!!)
そして、元谷さんは学生時代に家庭の事情であきらめたもう1つの夢も叶えています。
それは大学入学と、教育に携わることでした。
2001年、53歳で法政大学人間環境学部に入学し、卒業後は早稲田大学大学院公共経営研究科で博士課程を修了。東京国際大学客員教授にもなっています。
1歳の時、生家で福井地震に遭いつつも、落下してきた観音開きの仏壇に守られたという強運の持ち主だけに、どんな時も人生を前向きに捉える元谷さん。
2020年の東京五輪を控え、ますますヒートアップするホテル業界で、アメリカ進出も果たしたアパホテルと、エネルギッシュな元谷さんはまだまだ成長を遂げていきそうですね。
【おまけ診断テスト】自分の「才能」に気づいていますか?
仕事ができるビジネスマンと出来ないビジネスマンの差は、意外と「自分の才能・資質を知っているかどうか」だけの差だったりします。
仕事ができる人ほど「自分が得意なこと」を仕事にし、仕事ができない人ほど「自分が好きなこと」を仕事にしようとします。
仕事が非常にできる2割の人間は、自分が得意なことを仕事にしている人。
仕事を普通にこなす6割の人間は、自分が得意なことを仕事にしていない人。
仕事ができない2割の人間は、自分が苦手なことを仕事にしている人。
「好きなこと」と「得意なこと」は違います。残酷なほど違います。一流と三流を分ける海より深い隔たりがあります。
世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシは、FW(フォワード)というゴール前20m四方のエリア内でのみ世界最高の選手でいられます。彼は誰よりもディフェンスをしません。なぜか? その仕事場以外では平凡な選手だからです。
つまり「仕事ができる人間」とは、「得意な場所で、得意な仕事をしている人」なのです。
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