<全訳>ハリポタ作者、JKローリングがスピーチで語る「失敗がもたらす恩恵」とは

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(J・K・ローリング氏/1965年7月31日生まれ)  

全世界で爆発的な人気を誇る「ハリーポッターシリーズ」の作者であり、歴史上で最も稼いだ作家と謳われるJ・K・ローリング女史。

全世界の累計売上は4億部以上。世界64カ国語に翻訳され、その他映画などの興行も爆発的なヒットを連発。

その驚愕の年収は約180億円とされ、 推定資産はなんと800億円を越えています。

イギリスの富豪ランキングでは、あのエリザベス女王すら越えてしまっているそうです……。  

さて、今回紹介するのは、そんなローリング女史が2008年にハーバード大学の卒業式で語った名スピーチです。

テーマは「失敗がもたらす恩恵」と「想像力の重要性」について。

「どのようなありきたりな基準に照らしてみても、卒業式からのたった7年間における私の失敗は、ケタ外れのものでした」

とローリング氏が自らの20代を語るように、 その桁外れの成功の裏には、貧困や離婚、シングルマザーとしての生活苦など、当時のイギリスにおける最底辺の暮らしに彩られた「失敗」の山が積み重なっていました。

そんな自らの経験をもとにした失敗談とそれらがもたらした恩恵について、 世界最高の作家ならではのユーモアとジョークを織り交ぜながら語られているスピーチを、全文日本語訳で書き起こしてみたので、ぜひ読んでみて下さい。  

 

 

目次

その前に、ローリング氏の簡単な経歴紹介

子どもの頃から物語を書くことが好きで、非凡な想像力を持っていたというローリング氏。

大学当時は授業にはあまり出ずに小説を書いて過ごしていましたが、その多くは完成するまでには至りませんでした。

卒業後はロンドンのアムネスティ・インターナショナルで秘書として働いていましたが、「本当にやりたいことは小説を書くこと」という思いは消えていなかったそうです。

転機は1990年の夏でした。 ローリング氏は、マンチェスターからロンドンに向かう4時間遅れた列車の中で、 魔法学校に通う少年ハリー・ポッター、そしてロンとハーマイオニー3人の着想が突然誕生し、自宅に帰ってその晩のうちに書き始めました。 これは本人にとっても初めての興奮する体験で、インタビューに対しどこからイメージが湧いてきたのか自分でもわからないと述べていたそうです。

その後は、英語教師としてポルトガルのポルト在住中の1992年に結婚しました。 翌年には一女ジェシカが生まれたが、夫との不和のため離婚し、1993年末にジェシカを連れて一文無しで帰国し、妹が住むエディンバラに落ち着きました。

高校のフランス語教師になる道もありましたが、二度とない機会かもしれないと考え小説を書くことに集中しました。

小説が売れる前のエディンバラでの生活は、離婚後の生活苦と貧困でうつ病になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部エディンバラ大学の学生誌に明かしたそうです。 しかし、この時の経験が後のハリー・ポッターシリーズに登場するディメンターのもとになりました。

娘の存在に支えられながら数ヶ月をかけてうつ病を完治させ、貧しいシングルマザーとして生活保護を受けながらついに 『ハリー・ポッターシリーズ』第1作、『ハリー・ポッターと賢者の石』を執筆しました。

しかし、こうして構想から5年後の1995年に完成した原稿はエージェントを通じて12の出版社に提出されましたが、 あまりに長編で出版する会社は現れませんでした。

新人による子ども向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社が出版することとなったのは、 受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子どもに手渡して反応を見たからだったそうです。 1時間後に部屋から出てきた子どもは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話しました。

こうしてイギリスのブルームズベリー出版社から出版された「ハリーポッターシリーズ」は、多くの文学賞を受賞し、世界的な大ベストセラーになりました。  

それでは以下、ハーバード大学卒業式におけるローリング氏の名スピーチをご覧ください。  

 

卒業スピーチ全文

ファウスト学長、ハーバードコーポレーション、ボードオブオーバーシアーズの皆様、教職員の皆様、誇らしさでいっぱいの父兄の皆様、そして何よりも卒業生の皆様、 まず最初に一言御礼を述べさせて下さい。

ハーバード大学が素晴らしい栄誉を与えて下さったことだけでなく、この数週間、卒業スピーチのことを考え、恐怖と吐き気に耐えたことで体重を減らせたことにです。(会場笑い) 一石二鳥ですね。(笑い)

あと残されたことは、赤旗(ハーバード大学の旗)を細目でちらりと見て、世界最大のグリフィンドール同窓会に出席しているのだと思い込むだけです。(会場笑い)  

卒業スピーチをするなんて責任重大だと思っていました。自分の卒業式を思い出すまでは。

私の卒業式でスピーチしたのは、イギリスの著名な哲学者メアリー・ワーノック女史でした。彼女のスピーチを思い返すことは、このスピーチの原稿を作ることにとても役立ちました。 なぜなら、彼女の語ったスピーチの一言も思い出せないことが分かったからです。(会場笑い)

この”自由をもたらす発見”のおかげで、私は恐れることなく前へ進むことができました。 それまでは、皆さんがビジネス・法律・政治の分野で輝かしいキャリアを「ゲイの魔法使い(ダンブルドア校長役を演じた役者がゲイだったというネタ)」になる浅はかな喜びのために投げ捨ててしまう影響を、スピーチによって与えてしまうのではないかと恐れていました。(会場笑い)

どうです? もし皆さんが「ゲイの魔法使い」の冗談をこの先も思い出すようなことがあれば、私はメアリー・ワーノック女史に勝ったことになります!(会場笑い)

達成可能な目標は、「自己改善の最初の一歩」です。    

 

実のところ、今日皆さんに何を話すべきか、非常に悩みました。

卒業式で自分は何を知れたら良かっただろう。卒業の日から今日までの21年間で学んだ一番大事なことは何だっただろう。と自問自答しました。

2つの答えに辿り着きました。皆さんの学業達成を祝うこの素晴らしい日に、「失敗がもたらす恩恵」について話すことに決めました。

そして現実社会というものの入り口に皆さんが立つ時に、「想像力の重要性」について熱く語りたいと思います。 この二つは非現実的、または矛盾した選択に見えるかもしれませんが、どうぞお付き合い下さい。    

卒業式のときの21歳の自分を振り返ることは、42歳になった自分にとって少し厄介な経験です。 人生の半分ほど前、私は自分自身の夢と身近な人達からの期待との間で、難しいバランスを取っていました。

私自身は、「小説を書くこと」こそが唯一やりたいことだと確信していました。 しかしながら、難しい環境で育ち大学にも行ったことがなかった両親は、私の「働き過ぎの想像力」はただの面白い癖で、住宅ローンを払ったり年金を保証してくれるようなものではないと考えていました。ーー今となっては皮肉なことですが。

両親は私が実用的な学位を取ることを望んでいましたし、私は英文学を学ぶことを望んでいました。今思えば、誰も喜ばないような妥協をして、現代語を選びました。 両親の車が道の角を曲がりきらないうちにも、私はドイツ語を見限って古典文学の回廊へと逃げ込みました。

古典文学を勉強していると両親に話した覚えはありません。彼らは卒業式で初めてしったかもしれません。 両親にとっては、役員化粧室への鍵を手に入れることにかけて、この地球上に存在する科目の中でギリシャ神話より役に立たない科目を見つけることは難しかったでしょう。

ちなみに、両親の考え方を責めているわけでは決してありません。 間違った方向に進んだことを皆さんが両親のせいにするには、”有効期限”があります。(会場笑い&拍手)

運転するのに充分な年齢になった瞬間から、責任は自分が取らなければなりません。さらに言えば、私が決して貧しさを経験しないようにと願う両親を非難することなどできません。 両親自身も私もずっと貧しかったので、貧しさは高尚な経験ではないという両親の意見には大賛成です。

貧しさは、恐怖・ストレス・ときに絶望を伴います。それは小さな屈辱、困難が無限にあることを意味します。自分の努力で貧しさから抜け出せたらそれは誇りにしていいですが、貧しさそのものを美化することは愚か者がすることです。  

私が皆さんの年齢のときに最も恐れていたものは、”貧しさ”ではなく、”失敗”でした。

私は皆さんと同じくらいの年齢のころ、大学ではほとんどの時間をカフェで物語を書いて過ごし、授業にはめったに出ませんでした。大学でのやる気が明らかに欠如しているにも関わらず、試験にパスするコツだけは覚え、それが何年も私や仲間たちの人生における尺度となっていました。  

さて、皆さんが若く、才能があり、教養があるからといって、悲嘆や困難、苦悩を今まで経験したことがないと思うほど、私は愚鈍ではありません。才能と知性で運命の気まぐれを避けれた人なんていませんし、ここにいる皆さんが何事もなく特権と満足感を享受してきたとは少しも思いません。

しかしながら、皆さんがハーバード大を卒業するという事実は、皆さんが失敗に慣れっこではない、ということではないでしょうか?

皆さんは、成功への欲望と同じくらいに、失敗の恐怖によっても突き動かされるのかもしれません。 実際、皆さんが失敗と思うことと、一般的な人が成功と考えることは、あまり違わないのかもしれません。皆さんはすでにあまりにも高く上り詰めました。

結局のところ、私たちは自分自身で失敗の基準を決めなければなりません。しかし、世界は隙あらば皆さんに基準を押し付けようとします。

そしてこう言っても良いでしょう。どのようなありきたりな基準に照らしてみても、卒業式からのたった7年間における私の失敗は、ケタ外れのものでした。

極端に短い期間で結婚生活は破綻し、仕事はなく、シングルマザーであり、ホームレス一歩手前の、現代のイギリスで考えられる最低の貧しさでした。

両親や自分自身が恐れていたものが現実となり、どのような通常の基準に照らし合わせてみても、私は自分が知る限りの最大の失敗作になりました。    

 

さて、ここに立って皆さんに「失敗は楽しいものだよ」とお伝えしたいわけではありません。

あの頃の私の人生は真っ暗だったので、後にマスコミが言うような”おとぎ話”のような結末が待っているなんて、当時は思ってもいませんでした。

当時、この暗いトンネルがどれくらい続くのか見当もつきませんでしたし、トンネルの終わりの光は長い間、現実というよりむしろ希望でしかありませんでした。

ではなぜ、私が失敗のもたらす恩恵について話すのでしょうか?

その理由はただ、失敗が不必要なものを剥ぎ取るからです。 私は自分以外の何かであるフリをやめ、自分にとって重要な唯一の仕事をやり遂げることに全精力を傾けました。

もし、他の何かで成功していたら、自分が本当にやりたい分野で成功する決心がいつまでもつかなかったかもしれません。 私は自由になったのです。 なぜなら、私の最大の恐怖はすでに現実のものとなり、それでもなお自分は生きていて、愛する娘もいて、古いタイプライター、大きなアイディアもあったからです。

ですから、どん底が人生をやり直す強固な土台となりました。  

 

皆さんは私ほどの大失敗はしないかもしれませんが、人生でいくつか失敗することは避けられません。慎重に生きすぎて生きていないのと同じ場合を除き、失敗せずに生きていくことは不可能です。でも慎重に生きることは、それ自体が失敗ですが。

失敗は、試験をパスすることでは決して得られなかった、内なる安心感を与えてくれました。 失敗は、他のことでは学ぶことが出来なかっただろう自分自身のことについて教えてくれました。 自分には強い意志と、自分が思っていた以上の自制心があることに気づきました。 また、ルビーよりもずっと価値のある友人達がいることにも気づきました。

”挫折から這い上がって、賢く強くなれた”と知ることは、”これからずっと生き残る能力が自分にはある”という安心感に繋がります。自分自身や人との絆の強さなど、逆境に試されるまでは決して分からないでしょう。

そのような知識は苦しみから得た賜物で、今まで得たどの資格よりも価値がありました。

もしタイムターナー(ハリーポッターの時間旅行の魔法)があれば、21歳の自分に、「個人の幸せは”人生が獲得や達成のチェックリストではない”と知ることにある」と教えてあげるでしょう。

資格や履歴書は皆さんの人生ではありません。とは言うものの、これらを混同する大人に沢山会うことになるでしょうが……。 人生は困難で、複雑で、誰も完全にコントロールできません。そしてそれを知る謙虚さによって、人生の浮き沈みを切り抜けることができます。    

さて、私が2番目のテーマに「想像力の重要性」を選んだのは、これが私の人生の再構築において役割を担ったからだと思うかもしれません。

ーーしかし、必ずしもそれだけではありません。 (子どもに)寝る前に物語を聞かせてあげる価値は死ぬまで言い続けるつもりですが、私はそれよりもっと広い意味での想像力の価値を学びました。

想像力は存在しないものを想像する人類特有の能力で、それゆえに全ての発明やイノベーションの源となります。

しかし、それだけではありません。その最も変幻自在で啓示的な能力として、想像力はまた他人の経験を共感させてくれるものでもあります。

私の人生の最も貴重な経験の一つはハリーポッターよりも前のことですが、後にこのハリーポッターを書く時に役立ちました。

この啓示は若い頃の仕事で得られました。 昼休みに仕事を抜け出して小説を書いたりしていましたが、20代前半はロンドンにあるアムネスティ・インターナショナル本部のアフリカ調査部で働いて生計を立てていました。 そこの小さなオフィスで、私は殴り書きの手紙を読んでいました。

それらは、自分たちに何が起こっているのか外の世界に知らせるため、人々が投獄のリスクを冒して独裁政権下こっそり持ち出した手紙です。 何の跡も残さず消えていってしまった人達の写真を見ました。それらは必死の家族や友人によって送られてきたものです。

拷問を受けた人々の証言も読みましたし、彼らの怪我の写真も見ました。レイプの略式裁判や処刑について目撃者の手書きの証言もありました。 同僚の多くは投獄されたことのある元政治犯でした。家を追われたり、亡命したりした人達でした。なぜなら、政府に対して無謀な発言をしたからです。

オフィスへの訪問者の中には情報提供のために、もしくは祖国の状況を知るために来る人達がいました。当時の私と同じくらいの年の、アフリカ人拷問被害者を決して忘れることはないでしょう。彼は母国で耐え抜いた結果、精神を病んでしまいました。 彼は自分が受けた残虐行為についてビデオカメラに向かって話していた時、抑えがきかないほど震えていました。彼は私よりも30センチくらい背が高かったですが、子どものように弱々しく見えました。 彼を地下鉄の駅まで送る役割を与えられたのですが、残虐行為によって人生をめちゃくちゃにされたこの男性は、とても丁寧に私の手を取り、将来の幸せを願ってくれました。  

私はまた、誰もいない廊下を歩いていた時、閉ざされた部屋から突然聞こえてきた恐怖と苦しみの叫び声を一生忘れることはないでしょう。それは未だかつて聞いたことがないような叫び声でした。

ドアが開いて女性調査員が顔を出し、彼女の横に座っている若者のために暖かい飲み物を入れてきてほしいと頼まれました。彼女はちょうど彼にやむを得ず伝えたところだったのです。彼が祖国の政権を批判したことへの報復として、彼の母親が捕まり処刑されたことをです。

20代前半に働いていた頃、私は毎日自分がどれだけ幸運であるかを思い知らされていました。誰もが弁護士を立てて公的裁判を受ける権利がある、民主主義国家に住んでいる幸運です。

私は毎日、人間が権力を獲得もしくは維持するために、他の人間に対して悪事を働く多くの証拠を目にしてきました。私は悪夢を見るようになりました。自分が見たり聞いたり読んだりしたことについての文字通りの悪夢です。

しかしまた、それまで知らなかった人間の善良さについても、アムネスティ・インターナショナルで学びました。アムネスティは信念ゆえに、拷問を受けたり投獄された人達のために働くために、そのような経験のない何千人もの人たちを動員します。 人類の共感する力が結集した行動につながり、人命を救い、囚人を解放します。

個人の幸せと安全が保証されている普通の人々が、見知らぬ、これからも決して会うことのない人々を救うために大勢で集まります。その過程に多少なりとも参加出来たことは、私の人生において最も謙虚な気持ちになれる、また勇気づけられる経験となりました。  

この地球上の他のどの生物とも異なり、人類は経験することなく、学び、理解することができます。他の人の立場で考えることができます。もちろんこれは能力で、私の一連の小説にでてくる魔法のように、道徳的に良くも悪くも使えます。

そのような能力を、人を理解したり共感したりするにの使うのと同じくらい、他人を操ったりコントロールしたりするために使う人がいるかもしれません。

そして想像力を全く使わないことを好む人も大勢います。彼らは経験の範囲内だけで快適に過ごすことを選び、他の環境に生まれたらどんなふうだっただろう? などとはわざわざ考えたりしません。彼らは叫び声を聞いたり、檻の中を凝視したりしなくてもいいのです。 個人的に関係のない人々の苦しみに、心や気持ちを閉ざすことができます。知ることを拒否できるのです。

そのように生きられる人をうらやましく思う時があるかもしれませんが、彼らが私よりも悪夢をみることが少ないとは思いません。 狭い空間に生きることを選択することは、精神的な広場恐怖症を生み出し、それがまた恐怖をもたらします。意図的に想像力を使わない人々は、より多くのモンスターを見るのではないでしょうか?

彼らはたいてい恐れているのです。さらに言えば、他人と共感しようと思わない人々は、真のモンスターを生み出すのです。明らかに悪い行為を自分自身で行うことなく、無関心を通じて悪と共謀してしまうのです。

私が18歳のとき、何だかわからない何かを求めて古典文学に足を踏み入れ、最終的に学んだことの一つは、古代ギリシャの歴史家プルタコスによって書かれた「自分の内側で達成したことは、外側の現実を変えるだろう」ということです。

これは驚くべきメッセージで、なおかつ私の人生において毎日何千回と証明されています。

これは一つには、外の世界との避けることの出来ないつながり、つまり人間はただ存在するだけで他人の人生に触れてしまうこと、を意味しています。

しかし、ハーバード大卒業生の皆さんは、他人の人生にさらにどれくらい触れていくつもりでしょうか?

皆さんの知性、勤勉さ、受けた教育は皆さんに特別の地位と特別の責任を与えます。皆さんの国籍でさえも特別です。皆さんの大半は、世界に唯一残る超大国の国籍を持っています。 皆さんの投票の仕方、生き方、抗議の仕方、政府にかける圧力は、国境さえも越える影響力があります。これは皆さんの特権でもあり、責任でもあります。

もし皆さんが、声無き人のために声をあげるため、自らの地位と影響力を行使することを選んだら、 もし皆さんが、力ある者だけでなく、力が無い者とも共鳴することを選んだら、 そして皆さんのような特権を持たない人々の人生に自分自身を当てはめて想像できる能力を保持するのなら、 そうすれば、皆さんの誇らしげな家族だけでなく、皆さんの手助けもあって現実を変えることができた何千何百もの人々も皆さんの存在を祝福することになるでしょう。

世界を変えるのに魔法は必要なく、必要な能力は全て私たちの中に備わっています。私たちはより良い世界になるよう想像する能力を持っているのです。    

 

そろそろ終わりに近づいています。最後に皆さんに望むことがあります。

21歳のとき、私がすでに持っていたことです。 卒業式の日に私と座っていた友人は、生涯の友人です。彼らは私の娘の名付け親であり、本当に困った時に頼れる人達であり、”死喰い人(ハリーポッターに登場するモンスター)”の名前に彼らの名前を使っても訴えたりしない心の広い人達です。(会場笑い)

卒業式で私たちはものすごく大きな愛情と、二度と来ない同じ時間を共有したということで繋がっていました。そしてもちろん、もし私たちの一人が将来大統領に立候補したら、重大な価値を持つであろう証拠写真を持っているという認識によっても繋がれていました。

ですから今日、皆さんも私たちのような友情に恵まれることを何よりも願っています。

そして明日、もし皆さんが私が言った一言も思い出せなくても、古代ローマ人哲学者セネカの言葉を思い出してくれたらと思います。これもまた私がキャリアの道を捨て、古代の知恵を探して古典の回廊に逃げ込んでいたときに見つけた言葉です。  

「人生は物語のようなものである。重要なのはどのくらい長いかということではなく、どのくらい良いかということである」  

皆さんが素晴らしい人生を送れることを願っています。 ありがとうございました。

 

まとめ

軽妙なユーモアとジョークから始まり、段々と真摯で深い内容に持っていくスピーチ能力は、やはり作家ならではのスキルが光っていますね。

貧困の恐怖に喘ぎ、自らを「最大の失敗作」と振り返る不遇の時代、決して恵まれてなどいなかった無名の新人時代、今でこそその言葉の一つ一つは輝いて多くの人々の胸に刺さりますが、それは彼女が人一倍多くの闇を経験していたからこそなのでしょう。  

起業やビジネスにおいても、「成功する最大の近道は、もの凄い勢いで失敗すること」という言葉があるように、 失敗とは避けて通ることができず、むしろ成長には欠かせない要因です。

しかし、ならば失敗すればいいのかという話ではありません。失敗をただの失敗で終わらせてしまったら、それはただの損失です。

大切なことは、起こってしまった失敗を糧にし、そこから何かを学び教訓を得ることです。

世界最高の作家がこれほどの失敗をしているのですから、もう私たちに失敗を恐れる理由などありませんね。

また、「想像力」を作家特有のものではなく、人間誰しもに備わっている「他人に共感する力」としてその重要性を述べていたことも印象的でした。

人類特有の魔法ともいえる「想像力」を、上手に良い方向で使えるような人間になっていきたいと思います。  

最後に、youtubeにあるスピーチの動画を載せておきます。 文字だけでなく、ローリング女史の生の声で聞いてみたい人はどうぞ。

(動画は3本あります。また、この記事の書き起こし全文はこの動画の日本語訳から引用させて頂きました)    

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