偉大なる借金王、ソフトバンク孫正義社長の経歴書

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孫 正義(そん まさよし)/1957年ー
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  「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのだ」

というTwitterでの名台詞があまりにも有名な孫正義氏は、おなじみソフトバンクグループの創業者であり、ソフトバンク株式会社代表取締役会長・福岡ソフトバンクホークスのオーナーを務めています。

その推定総資産額は、2015年現在、アメリカの経済誌フォーブスの発表によると、

なんと、141億ドルと言われています。

資産額で言えば日本人では間違いなく最高クラスの成功者である孫さんですが、 会社の方はというと、皆さんご存知の通り、ソフトバンクは超ウルトラ借金会社であります。

2006年のボーダフォン日本法人の買収で2兆円の借金を背負い、2012年には、米3位の電話会社スプリント・ネクステルを1.8兆円で買収しました。 抱える借金総額は11.6兆円に上り、これほどの借金が出来る会社は日本においてソフトバンク以外にないでしょう。

ソフトバンクの時価総額は8兆円近くになりますが、これは日本企業では第7位にあたる数字で、創業者が存命の企業としてはダントツトップ。10兆円規模で経営できる人間は日本では孫正義以外にいません。

これほど圧倒的な資産と成功を収めてもなお、想像できないレベルの借金を背負って飽くなき挑戦を続ける孫さんは、その人生において、片時も休むことなくイバラの道を歩んできました。

 

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「無番地」で生まれ育った少年時代

孤独

在日韓国人実業家の両親のもと、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で生まれた孫さんは、豚や羊と生活をともにするような不衛生で貧しく、また朝鮮人であることへの差別をも受けながら幼少期を過ごします。

これは孫さんが20歳を過ぎて役所へ戸籍を取りにいった際に知ったことだそうですが、自分の戸籍上の住所が「無番地」と表記されていたそうです。

これは、孫さんの祖父母が過去に漁船の底に潜り込んで日本に来た際、本来住所として存在しない場所にトタン屋根で無理やり住み始めてしまったことから、住所としては番地無しの「無番地」となったそうです。

そんな番地もない場所で苦しく貧しい生活を送っていたのかと思いきや、実業家である父・三憲が密造酒の製造販売やパチンコ業で成功したらしく、高級車を何台も所有するほど裕福であった時期もあるようですね。

 

高校を中退し、アメリカへ留学

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高校生になった孫さんはあるとき、日本マクドナルドを築き上げた名経営者である藤田田さんの著作「ユダヤの商法」を読み、とても強い感銘を受けました。

その後、孫さんは久留米大学付設高等学校を中退してアメリカへ留学するのですが、夏休みに一時帰国した際に、どうしても藤田田氏に会いたいと切望するようになりました。

それからと言うもの孫さんは、毎日毎日、藤田氏の秘書に「会わせてくれ」と電話をかけ続け、あるときは藤田氏の移動に合わせて空港にまで張り付いたりと、ストーカーも引くほどの行動力で藤田氏の面会を求めました。

そして、その狂信的な努力の末に、無名のイチ高校生が、あの藤田田氏との15分間の面談のアポを取ったのです。 その15分の面会で、孫さんは憧れの藤田田氏に聞きました。「これから何を勉強すればいいか?」と。 すると藤田氏は、目の前の高校生にこう答えました。

「これからは、コンピューターの時代だね。オレがお前の年齢なら、コンピューターを勉強する」

この藤田田氏のアドバイスが、孫さんがのちにデジタル情報を革命に人生を賭けるきっかけとなりました。 その後、孫さんはアメリカの名門・カリフォルニア大学バークレー校に入り、本人も異常だったと言うほど勉学に明け暮れました。

「アメリカに留学して毎日勉強の鬼になりました。勉強の虫じゃないですよ。そんな生易しいものじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全て勉強すると。もちろん英語で」(留学生に向けたスピーチでの発言)

そして1979年。大学卒業後の進路として日本企業に就職する気などゼロであった孫さんは、起業のための軍資金をどう集めるかを考えに考えた末に、ある答えを出しました。

 

  • ハンバーガー屋で死ぬほどバイト

「アメリカに留学して毎日バイトの鬼になりました。バイトの虫じゃないですよ。そんな生易しいものじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全てバイトすると。もちろん入りラストで」

ーーと、そんなわけはなく、孫さんが出した答えは   「発明」でした。

「そーだ♪ 何か発明して特許でも取れれば大金取れんじゃね?」 という、ごく一般的な大学生が考えたらアイタタタ・・・なことを大真面目に考えた孫さんは、1日一つの発明アイディアを生むノルマを自身にかし、最終的に生み出した250個の発明アイディアから、珠玉の一品を選びました。

その一品とは、「音声付き自動翻訳機」です。

孫さんは学校内の優秀な専門家たちを集めてプロジェクトチームを組んでこれを完成させ、その自動翻訳機をシャープに売り込んで、見事に1億円という大金を手にしました。まだ孫さんが22歳の青年の話です。

孫さんが「音声機能付き電子翻訳機」のサンプルを携えてシャープ中央研究所を訪ねてきた時のことを、シャープ元副社長の佐々木正はこう回想しています。

「まだ少年の面影を残した彼が、アイデアを買ってほしいと売り込みにきたんです。説明の最中も、目の輝きが異様に鋭い。『これはただものではない』と感じました。私は英語版翻訳機の研究開発費として2000万円出すことを即決しました。国連の公用語は8カ国語ある(当時)ので、英語版が完成したら他国語版も手がけなさい。合計1億6000万円の可能性があるとアドバイスしたのです」(こちらの記事より抜粋

そして起業へーー

夢

自動翻訳機で得た1億円を軍資金に、孫さんはソフトウェア開発会社「ユニソン・ワールド」(のちのソフトバンク)を設立。大学を卒業して帰国後、博多で事務所を構えました。

創業当初、まだ売上が100万200万のころ、孫さんは数名の仲間に向けてこう言ったそうです。   「将来は、豆腐屋のように、一兆二兆と数えるような会社にしたい」   そんな孫さんの言葉を受けて、当時の創業メンバーはこう思いました。

(・・・なに言ってんだこいつ)

あまりに現実離れしているように見えた孫さんの野望に、離れていってしまう人間も多くいたようです。

しかし、ユニソンワールドはその後「日本ソフトバンク」、そして「ソフトバンク」と社名を変え、現在では1兆円を超える利益を上げる大企業へと変貌しました。

普通なら口に出すのもバカバカしくなりそうな途方も無く大きな夢を、一点の迷い無く信じ続け、実現して来た孫正義という人物は、紛れもなく歴史に残る経営者であることは間違いありません。

そんな孫さんは、19歳の時に自身の人生50年計画なるものを作っていたのは有名な話です。

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孫正義の人生50年計画

  • 20代で名乗りを上げ
  • 30代で軍資金を最低1000億円貯め
  • 40代で一勝負し
  • 50代で事業を完成させ
  • 60代で事業を後継者に引き継ぐ。

19歳のころに打ち立てた人生計画を有言実行してきた孫さんも現在58歳(記事執筆時点)。

その人生計画通り、いまソフトバンクグループ内外では、孫さんの「後継者選び」が非常に注目を集めています。

そして現在後継者の最有力候補となっているのが、孫さんが米グーグルから引き抜いてきた、ニケシュ・アローラ氏。インド生まれの47歳で、グーグルの事実上ナンバー2という申し分なさすぎる実績を携えている人物です。

現在は副社長のイスに座っているアローラ氏ですが、孫さんはマスコミからアローラ氏が後継者なのかと訪ねられた際に「イエス」と答えているため、ほぼ確定と見て間違いなのでしょうか・・・。

(ニケシュ・アローラ氏についてはこちらの記事⇒『ソフトバンク後継者、ニケシュアローラ<元グーグルNo.2>の波紋』)

いずれにせよ、一代でこれほどの巨大企業を築き上げ、今なお誰よりも大きなリスクを背負って飽くなき挑戦を続けていく孫正義氏。 その人生の履歴書は、還暦を迎えようとしている今なおまだまだ埋まりきる気配はありません。
「自分の持った夢に、自分の人生は概ね比例する結果を生む。夢はできるだけでかい夢を持った方がいい」

セリフ自体はありふれた言葉ですが、孫正義という人物が言うから大きな意味を持つのでしょう。

向いてない。独立起業してはいけない人のたった1つの特徴

2016.02.07
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