ミリオンセラー量産!出版界の仕掛人・見城徹<幻冬舎社長>の経歴書

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見城 徹(けんじょう とおる)/1950年生まれ
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1993年に株式会社幻冬舎を設立して以来、20冊を越えるミリオンセラーを世に送り出してきた出版界の仕掛人・見城徹さん。

石原慎太郎「弟」、唐沢寿明「ふたり」、郷ひろみ「ダディ」、村上龍「13歳のハローワーク」、劇団ひとり「陰日向に咲く」、渡辺淳一「愛の流刑地」、宮部みゆき「名もなき毒」、長谷部誠「心を整える」、百田尚樹「殉愛」ーー などなど、手がけてきたベストセラー本を挙げればキリがありません。

『顰蹙(ひんしゅく)は金を払ってでも買え』という見城さんの強烈な座右の銘は有名ですが、 まさにそれに恥じない圧倒的な努力と度胸によって、絶対に不可能と言われた出版業界での起業を成功させました。

今では出版界をはじめ、芸能界や政界にまで絶大な影響力を持つほどの地位を確立している見城さんですが、一体どのような経歴を歩んでビジネス界のトップに上り詰めたのか、 簡単にまとめてみてみたので、見ていきましょう。

 

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学生運動を経て出版社に入社

現在のちょっと強面な容姿とは裏腹に、小さい頃はいじめられっ子だったという見城さん。

物心ついた時から自分の容姿にコンプレックスを持ち、とても孤独な少年でした。人との関わりを極力避けていたという見城さんが、現実から逃げ込んでいたのが物語の世界です。小説から漫画まで様々な物語を愛読しはじめました。

高校生の頃には、作家に憧れて自分でも少しずつ小説を書き始めました。それは自分の恋愛観を綴った拙い日記のような物だったようですが、大学に合格したのを境に更新は途絶えてしまいました。

 

そして東京の名門私大である慶応大学に入学した見城さん。

当時は映像の世界に少し興味があったので放送研究会に入ったのですが、当時はまさに学生運動の真っ只中。見城さんもそこで出会った仲間とともに自由と平等のためのデモに参加するようになり、バリバリ火炎瓶を投げていたようです。

ヘルメットと角材と火炎瓶を持って闘争に明け暮れ、危うく逮捕されそうになる修羅場もあったと言います。

しかし、そこで一線を越えなかったのは、その後の自分の人生や両親のことを真剣に思ってのことでした。

 

大学を卒業後は、株式会社廣済堂という出版社に就職した見城さん。

社会人になってからは寝る間も惜しんで精力的に仕事に邁進し、自身で初めて企画した『公文式算数の秘密』はいきなり38万部のベストセラーになるという大きな結果を叩き出しました。

もともとは作家に憧れていた見城さんですが、出版社の人間として中上健次、つかこうへい、村上龍らという大作家と付き合うようになる中で、本物の作家が内に秘めている狂気のようなものを感じ、自分は彼らの表現をアシストする側に回りプロデュースする役割の方が適任だと感じたそうです。

こうして見城さんは、編集者として人生を歩んでいくことを決めました。

 

角川書店時代では、17年間トップの稼ぎ頭に!

その後廣済堂を辞め、角川書店にアルバイトとして潜り込んだ見城さん。

最初は事務仕事や雑用ばかりでしたが、そこも圧倒的な努力と根性を見せつけて連日朝まで仕事に取り組んでいるうちに、編集部に正式採用されました。

文芸誌『野性時代』の編集部に配属された見城さんは、本当に寝る暇もないほど怒濤の勢いで働きはじめます。

20代・30代はいつ寝ていたのかが自分でも分からない。当時300人くらい担当してたからね。 毎晩まずは作家と飯を食べ、その次にミュージシャンや芸能関係者と飲んで。坂本龍一とも毎日会って、尾崎豊とも毎日会ってたな…。

たまに家にいることもあったけど、そうするとまず宮本輝から(電話が)かかってきて、1時間ぐらい話すと次は村上龍からかかってくる。ひと息ついたら今度はつかこうへいから電話が来て、その間に「なかなか電話が繋がらない!」と言って中上(健次)が家に来ちゃうのよ。そこからゴールデン街に繰り出してた。spotlightインタビューより引用

作家との付き合いには命を賭けていたと言っても過言ではないほど力を入れていたようです。

当時、見城さんが担当していた作家はなんと300人! 接待や会食などで使っていた経費はなんと月400万円!! 信じられないですが、1日15万円ほど接待やら何やらに使っていたそうです。

当然、会社の経理局からは経費の使い過ぎだと怒られたようですが、それ以上に圧倒的な結果を仕事で出していたので問答無用でした。

 

その後、『月刊KADOKAWA』の編集長に就任した見城さんは、当時の部数を30倍に伸ばすなど脅威的な手腕を発揮します。

つかこうへい『蒲田行進曲』、有明夏夫『大浪花諸人往来』、村松友視『時代屋の女房』、山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』、景山民夫『遠い海から来たCOO』の5つの直木賞作品を担当し、 森村誠一『人間の証明』、五木寛之『燃える秋』、村上龍『トパーズ』等々のベストセラーを手がけました。

また作家のみならず、坂本龍一、松任谷由実、尾崎豊など、ミュージシャンや芸能関係者との親交も積極的に深めていきました。

 

入社して以来ずっと角川書店の一番の稼ぎ頭として君臨していた見城さんは、41歳という若さで取締役にまで昇進しました。

こうして、出版界では知らない人がいないほどの名編集者として名を馳せていった見城さんですが、転機は思わぬ形で訪れました。

当時の角川書店の社長であった角川春樹氏が、コカイン密輸容疑で逮捕された事件です。 社長が警察に勾留されたことを受け、見城さんらは取締役会にて社長の解任動議を行いました。

そこで見城さんは、心からお世話になってきた恩人である角川春樹氏の解任に苦渋の末、賛成票を投じました。

恩人を解任させたことで、自身ももう会社には残れないと決心に至った見城さんは角川書店を退社し、 仲間たち5人と新たな出版社を立ち上げることにします。 そうして1993年に誕生したのが、株式会社幻冬舎です。

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不可能と思われた幻冬舎の設立

「文芸元年。歴史はここから始まる」

1994年3月25日、朝日新聞の全面広告に掲載されたこのコピーから、幻冬舎は常識はずれなスタートを切りました。

それは、誰もが反対した出版社としての起業でした。

ただでさえ先の細い斜陽産業です、99%の人間が「どうせ失敗に終わる」と大合唱をしました。

そんな逆風に真っ向から挑むように、見城さんは無謀にも莫大な広告を投下し、大作家に頭を下げ続け、 五木寛之、村上龍、山田詠美、吉本ばなな、篠山 紀信、北方謙三のビックタイトルを一挙6冊同時創刊するという異例のスタートを図ります。

その後も勢いは衰えず、郷ひろみの『ダディ』では前代未聞の初刷50万部を突破し、天童荒太の『永遠の仔』では25万部売れないと採 算が取れないくらいの広告を投下しました。

そして設立3年目には、「大手以外は絶対に手を出してはいけない」と言われていた文庫を一気に62冊刊行するという、まさに倒産と横並びの賭け、リスクに次ぐリスクを取り続けてきました。

その結果、幻冬舎は設立から9年で株式を上場させました。(※2011年を持って上場廃止しています)

 

「圧倒的な努力で、リスクの8割は埋めることができる」と見城さんは言います。

ここで言う「圧倒的な努力」の定義は、とても単純です。 人が寝ている時に寝ないこと。人が休んでいる時に仕事をすること。人が諦めてしまうことを諦めないこと。

シンプルにこれを徹底的に実行することが「圧倒的な努力」であると語っています。 絶対不可能と言われた起業を成功させ、幻冬舎というブランドを築き上げることができたのは、まさに見城さんの血のにじむ努力が成せた偉業だということは間違いありません。

 

たかじん「殉愛」や元少年A「絶歌」問題で世間を賑わす

geralt / Pixabay

最近、見城さんの名前が世間の話題で取り上げられた「問題作」が2冊ありましたね。 人気作家・百田尚樹氏が故・やしきたかじんさんの未亡人の証言を元に書いた『殉愛』。

そして、神戸連続児童連続殺傷事件の元少年A(酒鬼薔薇)の手記『絶歌』です。

『殉愛』に関しては、「永遠のゼロ」などで大人気作家となった百田氏が筆を取り、出版に際しては「金スマ」で大々的に取り上げるなど、大掛かりなプロモーションを図って大々的に売り出しました。

とくに特集を組んだ金スマでは、たかじんさんの妻・さくらさんの献身的な愛がドラマティックに描かれ、放送直後から大きな感動と反響を呼びました。

しかしその後、さくらさんの証言にウソが多いと、たかじんさんと親交のあった関係者から証言が相次ぎ、「遺産目当て」というキーワードもあってか一転して世間から大きな批判が巻き起こりました。 「

ベストセラーは確実」とばかりに各メディアにプロモーションを図っていたこともあり、このバッシングは相当の痛手になったのではないでしょうか。

 

 

そんな殉愛騒動よりも、さらに激しい論争を巻き起こしたのが『絶歌』です。

先に書いておきますが、この『絶歌』を出版したのは太田出版であって、幻冬舎ではありません。

当時世間を震撼させた殺人犯である「酒鬼薔薇聖斗(サカキバラセイト)」こと少年Aが手記を出すということで、ネットを中心に激しいバッシングが起こりました。 あまりの炎上ぶりに、太田出版の岡聡社長が「釈明文」を発表する事態にまで至ったほどです。

ではなぜそこに見城さんの名前が出てくるのかと言うと、最初に少年Aに接触して絶歌の出版を仕掛けていたのは、太田出版ではなく幻冬舎だったという話が浮上しているのです。

これは週刊新潮が掲載したスクープなので信憑性は定かではありませんが、 もともと少年Aに接触して手記を出そうとしていたのは見城さん(幻冬舎)であり、プロジェクトチームまで作って原稿も完成させていたそうです。

しかし、先に巻き起こった『殉愛騒動』で大バッシングを受けた幻冬舎は、ブランドを守るために絶歌の出版を取りやめて太田出版に振ったのだ……という話があるのです。 あくまで情報ソースが週刊誌なので真偽は定かではありません。

幻冬舎や見城さん本人はインタビューで否定されています。 ですが、こちらのlivedoorニュースによると、女性セブンの編集部に届いた元少年Aの手紙には、絶歌が出版されるまでの経緯とともに、元少年Aの見城さんに対する憎悪が綴られていたそうです……。

まとめ

見城さんの印象と言えば、とにかく「圧倒的」ですよね。 圧倒的な努力、圧倒的な熱量、圧倒的な上昇志向、圧倒的な強面。

すべてにおいて規格外な男だからこそ、出版社を創業するという偉業を成し遂げたのでしょう。 ちなみに、記事のアイキャッチ画像にある幻冬舎のロゴですが、 yjimage-50 岩の上に立ってヤリを投げようとしている原始人のモデルは見城さん本人のようです。

「ゼロから出発して新たな歴史をつくる」という信念のもとに、見城さん自らポーズを取って書いてもらったロゴだそうで。

2010年代も半ばを過ぎて、出版業界はいよいよピンチと言っていいほど追い込まれはじめています。そんな逆境の中で、見城さんが今後どんな常識はずれな「攻め」の一手を見せてくれるのか期待したいところです。

向いてない。独立起業してはいけない人のたった1つの特徴

2016.02.07
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