「ありがとう」を集め損ねたワタミ創業者・渡邊美樹の経歴書

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渡邊美樹(わたなべ みき)/1959年生まれ
photo by : http://www.svenson.co.jp

「居酒屋チェーンの象徴」から「ブラック企業の象徴」へーーー。

24歳で起業し、一代で居酒屋チェーン「ワタミ」を外食産業のトップへ押し上げた渡邊美樹さん。

その抜群の才覚と経営手腕は賞賛に値するも、一方で従業員に過酷な労働を強いるなど「ブラック」な一面が世間から批判を浴び、今ではブラック企業の象徴的存在にもなってしまっています。

圧倒的なカリスマ性(サイコパスとも言われますが……)を持ち、良くも悪くも多くの人間を従え統率してきた渡邊さんですが、その強靭な精神力と主体性は子供時代から脈々と培われてきたようです。

というわけで、今回はワタミグループ創業者である渡邊美樹さんの経歴をまとめてみました。

 

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クリスチャンとして宗教に入信していた少年時代

魔法

1959年、テレビCMの制作会社を経営する父親のもとに生まれた渡邊さん。 姉と両親の4人家族で裕福な家庭に育ち、野球に熱中する元気なスポーツ少年でした。

しかし、そんな幸せな環境は、小学校5年生の頃に一変してしまいます。

最愛の母が慢性腎炎で36歳の若さで急逝され、さらに追い打ちをかけるように父親の会社が経営難で清算されることになってしまいました。

家族はそれまでのマンションを去り、家賃1万円のアパートへの引っ越しを余儀なくされます。

父親の会社が清算されるのを目の当たりにした渡邊さんは、これをきっかけに「将来は経営者になる」と心に決めました。

一方で、一緒の布団に寝ていたというほど愛していた母親を亡くした渡邊さんは胸に大きな穴が空いていました。
そんなとき、心の隙間を埋めてくれたのが、宗教でした。

近所の大学生に誘われてキリスト教に入信した渡邊さんは、中学の多感な時期を聖書とともに過ごします。

「時間があれば宣教に歩いた」と語るほど熱心に宗教活動に従事していた渡邉さんは、将来キリスト教の宣教師として生きていくか、起業家として社会貢献を行うかを真剣に悩むようになります。

しかし、所属していた宗派の「信者以外は救われない」という教えに唯一納得できなかったため、中学卒業と同時に宗教活動とは決別し、やはり起業家を目指すことを決心しました。

 

起業に向けて徹底的に下積みを積んだ高校〜大学〜社会人時代

夢

将来は起業すると決めた渡邊さんは、起業に必要なスキルを身につけるべく学生時から様々な活動に従事していきます。

高校時代

神奈川県立希望ヶ丘高校に入学した渡邊さんは、起業に向けた知識をつけるべく毎日のように図書館にこもって本ばかり読んでいました。

当初は高校卒業後にすぐにでも起業の道へ進もうと考えていたようですが、進路指導の教員から、「経営者になるなら、大学へ行って人生経験を積んでからでも遅くない」と言われ、大学へ進学することにします。

 

大学時代

明治大学商学部に進学した渡邊さんは、経営に必要なマネジメントスキルを身につけるべく、横浜会という伝統ある県人会に入りました。横浜会は大勢のOBがいるのでのちの人脈形成にも役立つと考えたのです。

当時の明治大学の横浜会は毎年5000人のコンサートを定期的に開催して、その収益が110万円くらいでした。もちろん収益金は全て寄付金です。

しかし渡邉さんの代ではOBの人脈をフル活用して1万人コンサートを開催し、寄付金も最大の870万円を集めることに成功します。

このとき59代目の幹事長となっていた渡邊さんは、150人の学生を組織していました。
その後、明治大学のみならず早稲田大学や立教大学の横浜会にも声をかけて、全6大学合同の横浜会を組織した渡邊さんは、初代委員長として実に700人の学生を束ねるリーダーとしてカリスマ性を発揮していました。

また一方では、大学卒業前には北半球放浪旅行に出て、世界を旅しました。このとき世界各地の食文化に触れた経験から、「食は人々を幸せにする」と感じ、将来起業する分野を外食産業に決めました。

 

社会人時代

大学卒業後は、急成長を見せていたベンチャー企業「ミクロ経理」という会社に入社します。起業に向けて経理業務を勉強するためでした。

入社して半年間でバランスシートの読み方など経理業務の基礎を覚えるとミクロ経理を退社し、今度は起業資金を貯めるために佐川急便へ転職します。

当時の佐川急便は、一日の労働時間が20時間に及ぶなど超過酷な労働環境でしたが、月給は約43万円と高給でした。

渡邊さんは大卒ということで先輩から執拗なイジメにあっていたそうですが、「起業する」という夢のために必死に耐え抜き、1年間で300万円の起業資金を貯めたのち、佐川も退社しました。

 

300万の資金を手に、24歳で起業

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起業資金300万を貯めた渡邊さんは、1984年、24歳で有限会社渡美商事(のちのワタミ株式会社)を設立しました。

当時経営不振に陥っていた居酒屋チェーン「つぼ八」の店を買い取り、フランチャイズオーナーとしてビジネスをスタートさせます。

ここでも類いまれな経営手腕でつぼ八を成功に導き、92年にはフランチャイズ契約を解除して、自社ブランドとなる『和民』を展開。 その後、和民は急拡大・急成長を続け、98年に会社を東証二部に上場させ、2000年には東証一部に上場を果たしました。
2002年にはワタミは全300店舗を展開する一大企業へと成長し、外食産業のトップへまで上り詰めます。

その勢力は日本だけに留まらず、香港、台湾、上海など海外にも幅を広げ、 さらには外食のみならず、農業や介護の分野にまで事業を多角的に展開するほどの勢いを見せていました。

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『ブラック』が明るみとなった従業員過労自殺問題

順風満帆な成長を見せていたワタミですが、そのブラックな一面が世間に知れ渡るきっかけとなったのが、2008年に起きた「女性従業員過労自殺問題」です。

これは、「和民」で働いていた新入社員の森美菜さん(当時26歳)が、入社からわずか2ヶ月で自宅マンションから飛び降りて自殺した事件。

自殺の原因は、あまりに過酷な労働環境でした。
森さんは7日間連続の深夜勤務を含む長時間労働に加え、月140時間に及ぶ時間外労働を強いられていたとのこと。

開店前の午後3時には店に出勤し、平日は深夜3時まで、週末は閉店後の午前5時以降も働かされていて、しかも与えられた社宅が店から遠いため、始発電車まで待機を強いられる。

さらに『休日』には午前7時からの早朝研修会やボランティア活動およびリポート執筆を命じられ、日常的に極度の睡眠不足状態に陥っていたそうです。 死後に見つかった手帳には、

生前の悲痛な叫びが書き残されていました。

「体が痛いです。体が辛いです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」(森さんの手帳に残されていた文面)

生前、やつれた娘の姿に心配の声をかけていたご両親ですが、森さんは「大丈夫。変だと思ったらすぐに辞めるから」と返事をしていました。

しかし、そんな思考力すら奪うほどの労働を強いられ、自殺へと追い込まれてしまいました……。
この事件が大々的にメディアに取り上げられたことで、渡邊さんをはじめとする「ワタミ」の異常な社風に世間から大バッシングが浴びせられました。

『地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう』という企業スローガンもまるで宗教団体のようだと批判を浴び、 若者には具体性もなく『夢を持て』と連呼し、そのくせ自社社員には『365日24時間死ぬまで働け』『会議をしているとき、今すぐここから飛び降りろ!と言う』など、裏の顔を暴露された渡邊さんはブラック経営者として集中砲火を浴びています。

さらに、亡くなった女性従業員の労災認定に対して自身のTwitterで、「労災認定の件は非常に残念であるが、労務管理ができていなかったとの認識はない」との発言をしてますます世間を敵に回し、今では取り返しのつかないイメージダウンを招いています。
また渡邊さんの問題発言はこれに留まらず、2013年に放送された『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)で、作家の村上龍氏と繰り広げられた会話内容は、今でもネットで拡散されるなどある種の「伝説」になっています。

その一連の会話がこちら↓↓(ネット上の有名コピペより)

渡邊社長(以下ワタミ)「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」 

村上龍「?」 

ワタミ「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」 

村上「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」 

ワタミ「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」 

村上「?」 

ワタミ「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」 

村上「一週間」 

ワタミ「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」 

村上「…んん??」 

ワタミ「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」 

村上「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」 

ワタミ「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」 

村上「それこそ僕には無理だなあ」

 

亡くなった森さんは、このような「無理を無理とは言わせない」会社に対して、以下のようなリポートを生前に提出していたそう。

「120%の力で、どんなにひどい状況でも無理やりにでも乗り越えろと?」「日々の業務が終わると、皆へとへとである。それとも、へとへとになっているのは、私だけか?」

やはりどの角度から見ても、ちょっと異常ですよね……。

この後、ワタミは、2012年にブラック企業大賞「ブラック企業」にノミネートされ、総投票数の49.8%を獲得して「ブラック企業市民賞」を受賞。

翌2013年もブラック企業大賞に唯一2年連続でノミネートされ、ウェブ投票の72%の票を集め、ブラック企業大賞と一般投票賞をダブル受賞しています。

 

渡邊さんは政治家へ転身。ワタミの業績は右肩下がりへ

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これらの一件によって致命的なイメージダウンを招いたワタミグループ。

翌2009年に渡邊さんはワタミの社長を、のち2011年に会長の職も辞任し、同年4月の東京都知事選挙に無所属で出馬する意向を表明したことで政治家への転身を図ります。

世間から強い風当たりを受けたこともあって都知事選では3位で落選しましたが、2013年5月末、第23回参議院議員通常選挙の比例区の自由民主党公認候補として立候補しました。

結果として104,176票を獲得して当選を果たし、現在は政治家へ転身しています。(政治家としての動向はここでは割愛します)
一方、渡邊さんが去った後のワタミグループがどうなったかと言うと……、

2014年3月期では居酒屋事業や宅食サービスの不振により、上場後初の赤字に転落。 翌15年3月期の連結決算では126億円の赤字を計上し、2期連続の赤字という大打撃を受けています。

2004年から始めた介護事業も、210億円で損保ジャパン日本興亜ホールディングスに売却して撤退するはめになっています。

『ブラック企業』のイメージダウンは想像以上に大きかったようですね。

 

まとめ

居酒屋チェーンが大賑わいを見せていた時代では、そこそこ美味くて安いという確かな好評を得ていたワタミ。

しかし、外食産業は市場競争が激しすぎるので、もっと安くてもっと美味しい店がごろごろと出現してきたことが、現在の労働環境の悪化に繋がった一因であると思います。

これは外食産業全体に言えることで、(ワタミは中でも特殊ですが)どこの企業も大なり小なり厳しい労働環境に陥る傾向にあります。

その上、時代は変わって、今の流行りは「ちょい飲み」なんて言われて居酒屋でがっつり酒を飲む習慣が薄れているなんて話もあるからより厳しい状況です。

それを見越してか、現在は農業や教育分野にも手を広げているワタミですが、その地に堕ちた企業イメージを払拭しない限りは、業績の回復はなかなか難しいかもしれません。

向いてない。独立起業してはいけない人のたった1つの特徴

2016.02.07
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